美のカリスマになりたい。

美容師や今だとマツエク施工者など

いつの時代も外見を彩る職業は廃れることがありません。

 

僕の独断ですが、こういった人との直接的なコミュニケーションや細やかなその相手に合わせたコーディネートを提供する仕事は、人工知能や機械などに仕事を奪われることはないのではないかと思っています。

 

というのもこのブログで僕が発見した通り人工知能というのは要するにデータのディープラーニングです。データのディープラーニングは人間の勘というのは出せないのではないのかと僕は思います。

 

将棋などの世界で機械が強いのは、あれは将棋のマス目の数があらかじめ決まっている、つまり有限の場所においてのゲームだからです。

 

美のコーディネートにはそもそもデータの軸の取り方がたくさんある上に、毎年どんどんアップデートされていく流行というものがあります。しかもその流行はまったく例えば70年代と同じというふうにはならずにちょっと今のこういう社会的なムーブメントを取り入れた70年代風。といった感じになる場合がほとんどでしょう。

 

そこでその付け足しの部分は予測や勘といったものとなるように思いますが、

 

データを蓄えた機械の勘と人間の勘とおそらく確率論的になる意味では、つまり百パーセントの確信ではないという意味ではどちらも勘なわけです。

 

人間にも活路があるのは瞭然でしょう。

 

先日、「ボヘミアンラプソディー」というクイーンの伝記映画を観に行きました。その映画の中でフレディマーキュリーは、LGBTのセンスを生かしたパフォーマンスをしていて、要するにそこが僕には一番印象に残ったのですね。

 

LGBTが才能と同義ならば、その同義のあり方は精神病患者とも同じようなものだと僕は考えます。

 

僕は誰かが自分が理解力や頭の良し悪しなどでこっちの方が良いとアドバイスをしたとして、それが受け入れられるという結果をそんなに喜ばないんです。

 

そういう考え的なところはいつの時代でも揺れるしそもそもその道でもっと卓越した知識を持っている人間は五万と自分以外にいます。

 

それよりも例えば僕が相手のライフスタイルや外見的美意識傾向を考慮して、あげた服やカバンや靴などを使って気に入ってもらえたりするようなことに喜びを感じるのです。

 

美容師やマツエク施工者などはダイレクトなそういう仕事ですがそうではなく間接的なものとして今僕は文章を書いている。でも何かもっとダイレクトな形でそれを実行し与えられるような、具体的な仕事のイメージはまだありませんが、にシフトしていきたい。むしろそれは仕事という形のものではないのかもしれませんが。