がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

風俗依存から抜け出す方法その2。

風俗依存だった僕が風俗断ちをして

はや一年経ちます。

 

ここでちょっと僕が性欲に関して思うことを書こうと思います。僕はもっぱらオナニーをしているのですが、

 

オナニー生活を快適にするためには、オナニーの直前まで、「今日くらい風俗行っちゃおうかなー」と本気で思うことが大事です。具体的にはデリヘルのサイトを閲覧するなど。で、性欲が高まったところで、でもお金もないし、どの店のどの子にするかとか選ぶのも面倒臭いし、お店のスタッフとコミュニケーションを取るのも面倒臭いし、

 

何より待つのが嫌だ!今抜いてしまえ!となって、そのデリヘルサイトを閲覧しているスマホの画面を即座にアダルトビデオサイトにします。で、オナニーします。射精したあと、ふつうにオナニーした場合に比べて気持ちいいしお金も時間も節約できたとなって、

 

デリヘルに実際に行った場合よりも、

お得感がたくさんあります。

 

で、ここでちょっと違う系統の話をしたいと思います。と言っても性欲についてです。

 

社会学や科学や医療でわかっていることは、

 

性欲がなくなった人間の末路はやばい、ということと、セックスをするパートナーがいる人の方が実はオナニーの回数がパートナーがいない人より多いということと、性欲過多のために痴漢とかしてしまわないよう男性ホルモンの調整をする治療を受けている男も世の中にはいる、という全て事実の事柄です。

 

また僕が風俗通いをしていたときにあるピンサロ嬢から聞いたこんな話があります。

 

そのピンサロ嬢はまだ若かったのですが、それにより男性の性欲についてよく知らなかったのです。

 

ピンサロ嬢は、「この仕事をするようになってから、君にしか欲情しない、という男の甘い言葉が全部信じられなくなった。男は妻子がいてもパートナーがいても性欲が高まったときには、私のようなピンサロ嬢に抜いてもらって、満足して帰る」

 

そう言っていました。

 

つまり、恋愛や結婚というのは、実は社会的制約があった上でこそ、特に、不倫や浮気などをしない男たちには効果がある、という事実に気づいたのです。

 

簡単に言うと、いくら愛し愛されているカップルや夫婦がいても、いざというときには魅力的な異性がいたら、人間はセックスができる、ということに気づいたわけです。

 

こんなことは実は男なら思春期から知っていますね。

 

で、それらを全部含めた上で、性欲はじゃあどうすればいいのかと言うと、

 

僕はコントロールする、ということに尽きると思うのです。

 

このコントロールするコツは、僕の実体験や経験則で言うと、

 

「オナニーをして解消する性欲と、実物の女を媒介にして解消する性欲に根本的に何か幸福の質といったものに違いがない」と知ることだと思うんです。

 

彼女や嫁がいないからセックスできなくてなんて自分は惨めなんだ、と考える人が多いかもしれませんが、

 

それは社会が作り出してる幻想の中の惨めさなのです。

 

長く生きているとそういうことがよくわかってきます。

 

社会や世間が、恋愛を歌った歌や、

デートスポットなどを用意してくると

 

まるでそれを利用しない、できない人はかわいそうという感じになりがちですが、

 

本当に気持ちのいいオナニーというのも誰しも経験したことがあると思いますし、本当に気分的に滅入ったセックスというのもやはりあるのです。

 

だから性欲に関しては、オナニーでもセックスでもどっちでもいいというスタンスだと、かなり生きるのが楽になります。

 

この世の中に絶対的な価値というのはありません。

 

例えば絶世の美女とセックスできても、

 

その快感は一年後までも続くなんてこともありません。

 

人間の性欲というのはよくできているのです。

 

ありすぎてもなさすぎても駄目というようにできているし、

 

また賢者タイムなんていうのも、

面白い仕組みです。賢者タイムに女を欲しがる男はいません。

 

そもそもなぜセックスのほかにオナニーという性欲解消法があるのか、ということを考え始めるとまた考察の幅が深まりますし、

 

ストレスが多い生活を送っている人ほどオナニーではなくセックスしたがるという話もあります。

 

きっと神様は、子孫を残す目的以外にも欲情する人間という生き物を作って、試しているのでしょう。

 

つまり僕が今こうやってあれこれ考えているのも、人間の性が悶々とするようにできているからです。

 

その考察力を試している。

 

死ぬまで考え続けることが、風俗で一回セックスして満足し切ってしまうより、

 

その人間に生きる上で実際的なメリットがある、と示唆しているように僕には感じられます。