煙草について。

ある朝、煙草が手元にないと、ひどく不安であった。

 

だが不思議なことに、煙草を吸いすぎているのを自覚すると、それはそれで不安なのであった。

 

煙草の害について、特に肺がんへの影響について、語られることが多い。

 

ある科学者は、煙草と肺がんの関係について、そもそも因果関係のデータをみてみると、肺がんで死んだ人が喫煙者であるのだが当時の喫煙率は男性85パーセントだったという話をして、

 

つまり肺がんと喫煙の関係の根拠が乏しいのだ、などと言う。

 

ほぼみんな吸っていたんだから、と。

 

また煙草は一種のポーズなのだという人もいる。セックスのあとに男がとるポーズであると。

 

僕は、時代が煙草を撲滅してもかまわないが、

 

それに代わるものを提供してもらいたい。

 

だが煙草に代わるものとしたら、

 

最近カナダで合法になった大麻くらいではないだろうか。

 

煙草の方がいいんじゃないだろうか。

 

煙草くらいで満たされるものがあるのだったらかわいいものなのではないだろうか。

 

僕は社会人になって吸った煙草の銘柄をよく覚えている。

 

セブンスターレボのフルーティーメンソールであった。

 

あれは美味しかった。

 

セブンスターレボのフルーティーメンソールをスーツのポケットにしのばせながら生活しているのはひどく爽快であった。仕事終わりに吸うのは実に爽快だった。

 

セブンスターレボのフルーティーメンソールは、だがしかし、数年後に売られなくなり、なくなってしまった。

 

僕は社会人になってから今までで、三週間だけ禁煙したことがある。

 

吐きそうであった。

 

狂いそうであった。

 

三週間後に吸ったときは罪悪感があったが、

 

三週間という時間の"軽さ"も同時に知ったのだ。

 

三週間という期間が、後の人生になんら影響を及ぼさないことを知ったのだ。

 

競争だ、などと人は言う。

 

腕前だ、などと人は言う。

 

だが例えば当時、SEだった僕は、

 

人より速くキーボードを打てることが、

 

先々の人生になんら影響がないことを

 

23歳にして知った。

 

これからの人工知能時代、

 

そういう努力が不要であることを

 

知らない人間は阿呆であろう。

 

煙草を100本吸って原稿用紙1枚書くという非効率に見える中にある質にこそ、目を向けるべきなのだ。

 

社会人になって自由に吸えるようになった煙草。

 

青年期に必ず携帯していた煙草。

 

自由の象徴の煙草。

 

吸うと元気が出た煙草。