がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

統合失調症患者における夢や目標の在り方。

僕はまだ生活保護を受けているのですが、この生活保護についてひろゆきが言及しています。

 

生活保護を受けるのは一つの戦略である、と。

 

つまり、肯定的に捉えているわけです。

 

知り合いに、医者に死にたいとこぼして鬱病の診断書を書いてもらい生活保護を受けている人がいて、その例からわかるとおり、死にたいとこぼす人には医者はためらうことが少なく鬱病の診断書を書いて、生活保護が通ったりするので、

 

これは一つの生きる戦略である、と。

 

死にたいとこぼす人は、演技でなかなかそうできるものでもないと思うので、それはそれで病気がマイナスで保護費がプラスと考えれば、まあおかしな話でもないでしょう。

 

ただ生活保護ってもうある意味、どれだけでも楽ができてしまいます。

 

僕は借金があるので、生活保護でもバイタリティを持って記者の仕事をたまにして、将来へ投資していますが、

 

借金がない生活保護者って何がバイタリティの源になるか、疑問になりますよね。

 

phaさんが、あえて苦労の道を選ぶのは不健全である、とこう言っています。

 

北野武は、俺は生きている間は目一杯苦労しようと思っている、とこう言います。

 

統合失調症患者が難しいのは、この両者のいいとこ取りをしなければ、

 

生きていけない、というところです。

 

本当はphaさんが苦労にあえて飛び込むのは不健全と言って著述業で成功したように、

 

また北野武が苦労は買ってでもすると言って映画で成功したように、

 

一つに定めた方が、生きやすいんですよ。

 

自分の考えがしっかりあれば、人間関係も、少なくとも、共感する人が出てきたりして、

孤独にはなりません。

 

ただ統合失調症患者は、phaさんのようなスタイルだと、言葉は悪いですが痴呆のようになる。

 

また北野武のようだと、再発して本末転倒になる可能性がある。

 

だから、行き着く先は両者いいとこどりの孤独です。主義主張が定まらない人間は、フォロワーがつきにくいですからね。

 

そういうことを考えていると、

 

僕は、理想や目標はなくていいのだという結論に達します。

 

いつ再発するかわからない統合失調症患者は、今できる最善の選択をその都度やっていって気づいたら歳をとっていた、というくらいがちょうど良いように思います。

 

僕は堀江貴文みたいな生き方を肯定しますが、これはただ単に統合失調症患者の性質が、堀江貴文流の、今を精一杯生きる、とたまたま合致しているだけであって、

 

意見が根本から合っていたわけではないんですね。

 

夢や目標を立てずにリアクションで生きる。ぼんやりとした方向性だけ持っていれば、案外、統合失調症患者でも、うまく生きられるのではないかと思っています。