芥川賞選評にバラツキがある理由。

これはまあ当たり前といえば当たり前なのです。

 

最近知ったのですが、石原慎太郎芥川賞選考委員を務めていた頃に、町田康芥川賞を受賞しました。

 

そのとき石原慎太郎町田康を絶賛したのですね。

 

石原慎太郎と親和性があると思っていた村上龍は、反対に酷評をしたのです。

 

僕は一読者としては町田康は新しいとは思いました。面白いとも思いました。

 

しかし酷評する人もいる。

 

表現の世界に正解がないからなんですね。

 

これは結構、人の人生観を揺るがすテーマであります。

 

昔学生時代に塾に通っていた僕は、講師の人に、「風邪が絶対に治る万能薬を作ったらノーベル賞」と教えられました。

 

これは、正解がある世界なんですよ。

 

ただ、このような、正解のある世界は同時に不正解もある世界なのです。

 

それは人間をときとして排他的にさせます。

 

例えばこんな話を考えてみるとわかりやすいかもしれません。

 

妻と別居中の経済能力のないある夫が弁護士になろうとして一念発起し自己流の勉強法で司法試験を目指しているとします。

 

司法試験に合格するためには、どうしたって正しい努力をしなければ合格しません。

 

闇雲に自宅で勉強していても、ほとんどの人は受からないでしょう。

 

そしてその夫は、間違った努力と知らずに間違った努力をしてひたすら時間を食いつぶします。

 

そして案の定、試験に落ちるのです。

しかし、その夫は勉強法は間違っていたけれども、一人で自宅で勉強をしている孤独の中に、何か法律の知識とは関係のない、その生活の中での特有な印象を抱くという体験をします。

 

孤独の中に、妻の良いところや、夫婦生活を営んでいたときには気づかなかったことを、たくさん思いつくのです。

 

そしてそれだけにとどまらずに毎日、誰とも、話さない中で、外の世界にある例えば木々などの自然であったり、

 

花々に、感動をする、という体験をします。

 

そして、そういった孤独の時間のうちに、その夫は、こういった感慨を抱くのです。

 

「妻の良いところはたくさん見つかった。妻と仲直りできそうだ。しかし同時にこの独りの生活もまた気に入った。最悪、妻と仲直りできなくて離婚になってもいい。どういうふうに生きても、人間は感動を覚えながら生きられることを知ったから」

 

この夫のように多様性を理解できる道っていうのは必ずあるものなのです。

 

そしてその多様性を認めて世に知らすのが芥川賞などの小説の世界です。

 

選評にバラツキがあるのは、この世の中に多様性がある何よりの証であり、

 

当たり前のことなのです。

 

正解がある世界か不正解でもそれはそれで正解がある人生観を持つか。

 

これは、真の意味での人間の進路の選択だと思います。