がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

良い変化でも悪い変化でも変化自体に意味がある。

僕が最近になって、なんで統合失調症なんて発症してしまったんだろうなぁと内省するときに必ず思い当たる節があったりします。

 

それはSEをやっていたときの自分の行動パターンです。あるいは性格です。

 

SEという仕事は正確さが求められます。正しく素早く実務を完遂しなければならない。

 

おそらくそういうカチッとした仕事が、ライフスタイルにも影響を及ぼしたのだと思います。

 

僕は、当時、毎回決まった時間に起きて、毎回決まった服を着て、毎回同じ食べ物を食べて、毎回決まった本数だけタバコを吸う、みたいな生活をしていました。

 

一番病的だったのは髪型に対するこだわりです。僕はキッカリ一月に一度、必ず同じ床屋で毎回同じ理容師に毎回同じオーダーをしていました。

 

これは本当に病的だった。

 

髪を切ってもらって少しでも、ほんの1ミリでもいつもと違うとストレスを抱えていたのです。

 

それで発症したときはまず両親に対する被害妄想がありました。

 

こんなにストレスを受けているのは、

 

お父さんお母さんあなたたちのせいだ、と。

 

入院を機に僕は反省というか3年間かけて性格を直そうとばかり考えていました。

 

もともと僕は仕事をする前、つまり学生時代は典型的なO型の大雑把な性格だったのです。それがSEの3年間で病的になってしまった。

 

だから僕はまず、パソコンから距離を置きました。

 

そして小説や新書や病気に関する本を読み漁りました。

 

僕が療養生活の中で一番、ショックというか、根底から叩きのめされたのは、

渡辺淳一の『鈍感力』という本です。

 

僕はそのようなカチッとした社会人生活を送っていたので、

 

少しの変化にも対応できず、つまり上司から何か言われたときも、傷ついたままでいるような、脆い人間だったのです。

 

『鈍感力』には、鈍いくらいにあれこれ自分のまわりを通り過ぎる事柄を静観するような人間が最終的にうまくいくというようなことが書いてあります。

 

僕は3年間かけて、大雑把に生きる、細かいことは気にしない、見た目の、例えば体重や髪型などの変化も気にしない、という訓練を意図的にやっていました。

 

大雑把な予算で適当に商品を選ぶことや、毎回違う髪型を違う美容院でオーダーする、など。勇気がいりましたが、

 

三年目には大体もう、こだわりというこだわりがことごとくなくなりました。

 

ただそれが行き過ぎて、女も誰でもいい、仕事も何でもいい、食べるものも何でもいい、と、何もかも主体性なく生きていたら、借金を抱え、能動的に仕事ができない、というようなこともでてきてしまったのです。

 

そこでまた試行錯誤をして、ちょっとだけ発症した当時の良かった部分を取り入れてみたりと、また変化しています。

 

僕が述べた上のような変化の経過は、極めて個人的な性格やライフスタイルのものですが、

 

どう転がろうと、変化すること自体に意味があるととらえています。

 

地球自体も万物も動いているのです。

 

変化することが良いことという風潮に科学的な根拠があるとしたらこれです。

 

動物も何もかも進化と退化を繰り返している。

 

自分も否応なくその一員なのだから、

 

変化は避けられない。それだったら、

 

結果どうあれ、前向きに変化しようと

意識するのは、理にかなっているのです。