がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

幸せを感じる瞬間。

心から幸せだな、と思える瞬間って極めて個人的なことだったりしますよね。

 

勘違いというかあまりそういうことを意識していない人は、常識的、一般的な尺度に当てはめて幸せを語ろうとしてしまうので、少しでもその尺度から外れると不幸だと思ってしまう。

 

そういう僕も最近、幸せだな、とあまり感じていません。その尺度に当てはめてしまっている、まだ未熟な自分がいます。

 

僕が三十を過ぎてから確かに記憶している幸せは3つあります。

 

一つ目は、季節の変わり目に感じた幸せです。最近、ちょっと夜が肌寒かったりしますよね。毎日犬の散歩をしていると季節の変化、気温とか風とかの変化には敏感です。暑い暑い夏が終わりかけて秋になりそうな瞬間、日照時間の短い冬がだんだん陽射しが多くなる春へと向かう瞬間、それを体感するときは幸せです。思うに、何か起こりそうな感じがするからですかね。中学生のときの衣替えとか、新学期が始まるときのドキドキした感じを、心地よく思い出しているのかもしれません。

 

二つ目は、ヘトヘトに疲れたあとに見る美しい光景です。僕は、正直に言って介護の資格を取りに資格学校に行っていたときは大変だった記憶があります。1日に五時間くらい講義があって。中でも実習は大変でした。慣れないこと、初めてのことに挑戦するのは、エネルギーがいるものです。そんな中で、あるとき、帰りの電車で、川面に反射する夕陽を見たんですね。今でもよく覚えています。それなりに混んでいる車内でたまたま自分の前に座っていた人が立って席が空いた。僕はそこに座った。ふと正面を見るとキラキラ光っているものがある。あれは資格学校がある場所から自宅までの間の電車だったので、その体験は10分くらいであったと思いますが、それでも数年後の今に至るまで覚えているくらいの幸せな瞬間であったんですね。疲れている、というマイナスの状態が、ふつうなら見過ごす光景を捉えさせプラスに変えたわけです。

 

3つ目は、初めて自分が書いた記事が紙面に載ったときです。これはまあわかりやすいですね。

 

生き方に迷ったときとか、というか今でもまだまだ迷うこともありますが、その3つの幸せの在り方は、よく参考にするようにしています。3つとも、狙って感じられるものではありません。計画計算してすんなり得られる幸せではありません。

 

だから普段は俗物的な、あっ欲しかったあれ安く手に入ったラッキー、みたいなのがあってもいいのかもしれません。反動で上記のような幸せを感じられるのであれば。でもその手のラッキーは記憶に残らないんですね。