がんばれないひと。

統合失調症歴10年。34歳男の雑記です。3年後までに文筆で成功し、犬とともにアメリカ移住を目標にしています。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

思い出すこと。

僕は2006年の大学卒業と同時に、半年の印刷会社での社内SEを経て、その後、二年半勤めたシステム開発会社のことを、正確には職場にいたまわりの人たちのことをたまに思い出す。

 

僕は26歳のときに退職をした。統合失調症と診断されるのだが、僕は退職届けを出したときの記憶がはっきりとある。

 

あのとき僕は半分病気、半分文筆等のやりたいことがあっての退職だった。正直に言うと。病気が全ての理由ではなかった。それの証拠に、なんとなく応募をしたことはあったけれど、発症後三年が経ったときSEの仕事に積極的に再就職したい、と考えたことはなかった。

 

僕はパソコンの仕事3年間で、自分はまずまずできるくらいの社員にしかなれないとわかっていた。基本情報技術者の資格は学生時代に取得していたが、

 

プログラムを書くのが大の苦手で、

僕は学生時代英文法や第2外国語の成績が良かったので、コツコツとパソコンの言語であるが言語であることに違いはないと思い、書く仕事は向いているだろうと思ったのだが、違った。コーディングは人間の言葉の言語とは違った理論性が必要で、まあはやい話が向いていなかったのだ。

 

それを決定づける出来事があった。僕は発症後3年間の間に、基本情報技術者の上位資格である応用技術者の資格試験に落ちたのである。

 

あれは一つのターニングポイントであったように思い出す。もし、苦手ながらもペーパーテストとして合格していたら、

 

僕は積極的にSEの仕事に再び挑戦していただろう。文才がないと諦めて、稼げるパソコンの仕事に従事していたであろう。

 

でも応用技術者試験に落ちたときの前後で僕はイシス編集学校で応用のコースまで学んだ。それは日本語を学ぶ学校でもあったのだが、しばらくの間、その経験は生きなかった。掃除、介護、アパレルを経て、日雇い派遣の仕事をいくつかやり、最終的に今の記者の仕事で生きた、という感じだ。

 

26歳で退職した会社、これが今までで最後の正社員の仕事であったが、退職したときの病気以外の半分の理由、文筆はまだまだスタート地点ながら現在、夢叶ったのだ。

僕は今日、5本目の記事を書き上げた。そして十年前の僕の周りにいた人たちを思い出した。当時の上司は今の僕と同い年くらいの年齢だ。

 

検索すると、当時のシステム開発会社はまだあるようだった。でも、もう当時の社員はこの転職時代、あんまり残っていないのではないかと思われる。

 

フェイスブックで当時の上司の存在は確認したが、どこかリアリティがないのである。友達申請などはしていない。十年前にほとんど毎日、二年半もの間、顔を合わせていた人は振り返ってみるとリアリティがない。

 

僕の記憶の中にある風景である。

僕の記憶の中にある発症前の人間は、

記憶の中で確かに存在感を放っている。

 

でもそれは、記憶の中でだけ。

もしかしたら、"僕だけ"の記憶の中の風景かもしれない。

 

十年も経てば、中には僕ほど転職しまくった人も少ないだろうが、当時の職場を去った人はたくさんいるだろう。

 

当時仲良かった誰々さんと誰々さんが

今でもつながりがある保証はない。

いやむしろ、ないであろう。

彼らもまだ若くて、僕みたいに病気にはならなかったにしろ、色々チャレンジした人生を歩んでいることだろう。

 

その、僕の記憶の中だけの風景を思い出すのは、虚しい行為のはずなのだが、

 

僕にはその虚しさが、今生きている原動力になっている。

 

その虚しさが、何か生きる上でインスピレーションを与えるものとなっている。

 

当時、三十代後半の上司たちは、職場のマドンナ的な存在のキャリアの女の人を取り囲んで、週末、ゴルフに興じていたが、今はもうその人たちの間柄も疎遠であることが普通であろう。なにせ十年経っているから。

 

今はもうバラバラな、連絡もつかない記憶の中の人たちの僕が関与しなかったが眺めていた交遊を思い出すのは、なんだか不思議に尊いような感覚だ。

 

ある集団を卒業したらまた違うある集団。でも僕だけは例え今、バラバラになった集団でも、思い出せるものがあるみたいなのは、本当に僕にとって大切な記憶なのだ。