短編小説『正しい"いいね"』を書いた。

華子という名前だった。僕と華ちゃんは、共通の友人の結婚式場にいた。場所は広尾である。既に式を済ませた新郎新婦を取り囲んで、披露宴が開催されている。華ちゃんは僕の席の正面に座っていた。僕は、久しぶりに会った友達を見渡しながら、出された料理を平らげていた。嵐の日で、たまに外の喫煙所にタバコを吸いに行くと、服や靴が濡れて、風も強かった。披露宴も終わり、二次会も別会場で用意されていたが、僕は行かなかった。新郎新婦には気の毒であったが、あまりにひどい天候だったのだ。僕は帰りの地下鉄に乗り、なんだかその当時従事していた清掃の仕事のことを思うと、憂鬱さを感じていた。


華ちゃんが隣に座っていた。僕は華ちゃんと、とりとめもない世間話のような会話をして、乗り換えの駅で降りた。そして無事に家にたどり着くまでの間に、フェイスブックで華ちゃんに友達申請をしておき、次の日にはフェイスブックメッセンジャーで連絡を取り合うようになった。初めて華ちゃんとデートをしたのは、駅近の僕の清掃の仕事終わりの居酒屋である。華ちゃんとはダイエットの話を主にしていた。僕のことをカッコいい容姿であると褒めてくれるのと同時に、もっと痩せたら理想的になる、とよく聞かされていた。

 

「食べたあとは味噌汁を飲んでね。温かいものは脂肪を溶かす作用があるから」

僕はその当時、確かにもう少し痩せれば、エグザイルのタカヒロみたいになれるとは自覚していた。そういう容姿は若い女の子にモテるのである。僕はだが決してタカヒロになりたいと心底、願っていたわけではなかった。たまたまタカヒロになるのならば、それで良かったし、意図してタカヒロになりたいとは思わなかった。もし、自然に生きていてタカヒロみたいになって華ちゃんを喜ばせたらそれはそれで良く、逆に自然に生きていてタカヒロみたいになれなく華ちゃんに嫌われたらそれまでだと思っていた。僕には恋愛よりも清掃という先の見えない仕事をしていることの方が気がかりであり、つまりは進路についてまだ模索している最中だったのである。

 

華ちゃんとは付き合おうという告白がどちらからもなく、ただ淡々とデートを重ねていった。デートに行った回数だけだったら、これまでの歴代の彼女を大きく上回る。それでもどちらからも告白はしなかった。僕たちは流行の都内のおでかけスポットに行っては、何か記憶に残るような美味しいものを食べて、そして家につくと僕が飼っている犬を互いに可愛がった。僕は一向に垢抜けたり、痩せたりする気配はなく、華ちゃんの理想からは遠去かり、しかしそれでもコミュニケーションが増えたため、仲は深まっていった。僕は契約期間満了で、清掃の仕事を辞めたあと無職になっていた。髪をなぜだか、ムラのあるような、金髪に染めたくて、実行した。その容姿は今にして思うと、まるで大学受験の浪人生のようであった。そう、ちょうど僕は、これから先どうするか全く決めていない、浪人生のような心境だったのだ。華ちゃんは金髪にムラがある僕を見て、染めるならこういう色合いのこういう風にして、とまたあれこれ希望を言った。

 

ある時、僕は華ちゃんの夢を聞いた。華ちゃんは、自営業で睫毛サロンやマッサージの店を持ちたがっていた。華ちゃんは当時、自由が丘の睫毛サロンで働いていたが、ゆくゆくは自分のお店を、と。僕はノートパソコンを持って、後日、喫茶店で華ちゃんと落ち合った。僕は華ちゃんの夢の第一歩として、華ちゃんの施した睫毛の出来栄えの写真を、魅力的に魅せるホームページを作成しようと思って、華ちゃんと一緒にホームページのデザインのことなどを話し合っていた。大分仲は深まっていたので、僕は華ちゃんと手を繋ぐようになり、たくさんラインで連絡を取り合った。季節が過ぎていき、半年ほど経った頃、僕は華ちゃんに思い切っていきなりプロポーズをした。華ちゃんが住んでいる街のタクシー乗り場の壁沿いに華ちゃんを止まらせ、僕はこう言った。

「華ちゃん、結婚して。僕、ちゃんと仕事するからさ」

華ちゃんはそのとき、すごく嬉しそうに笑ってくれた。でも華ちゃんは言った。

「私は今は彼氏欲しくないの」

僕はその時、やっぱりこの道は間違っていたのだと瞬時に悟ったのだ。僕には好きな女の子のために、好きでもない仕事をして、結婚をする、という道はなかったのだと、タイムウォッチで測ったら、1秒に満たないくらいの速度で感じ取ったのである。しかしその後の展開は少し想像を超えていた。僕はそうなんだね、と言って納得したときに華ちゃんは、「引き止めないの?」

と言ったのだ。そして「引き止めてくれるのかと思った」と少し泣きながら華ちゃんは言った。つまり、僕が強引にもっと求愛すれば、華ちゃんは振り向いてくれた可能性があった。しかし、僕はあの1秒未満で感じたことの方に既に確信を置いたあとだった。僕はその華ちゃんの言葉に何も返さなかった。

 

華ちゃんともう会わなくなったあと、僕はさらに職を転々とした。介護を経験し、アパレルを経験した。辛いとき、華ちゃんにラインをするといつも返してくれた。華ちゃんは、職を転々としている僕に、仕事はちゃんと自分で決めて持たなかったらダメだよ、と言った。僕は介護やアパレルの仕事は正直に言うと人生で一番きつかったと感じている。華ちゃんと会わずに三年が経ったころ、僕はようやく、これだ、という仕事に巡り会えた。それは地元のフリーペーパーの記者の仕事であった。いつのまにか華ちゃんに連絡するのは一方的に僕の方になっていた。あまりにたくさんラインをしたから、華ちゃんももう既読をつけるだけになっていた。それでも僕は、記事がフリーペーパーに載るとその写真を華ちゃんに見せたかった。趣味嗜好は違えど、あのときの華ちゃんの涙と僕の確信に意味ができた、とそう心から思えたからだ。華ちゃんは、僕のやりたいことや夢に興味がなかった。だから、僕は華ちゃんにプロポーズしたあと、フェイスブックにいろいろ書いていた僕の近況を見せないように、友達からそっと外しておいたのだ。今、僕は華ちゃんがどこで何をしているのかを知らない。華ちゃんはもうもしかしたらとっくに結婚をしているのかもしれないが、僕にはわからない。記者になってから、僕はインスタグラムに犬の写真ばかりを載せるようになった。

 

華ちゃんがいなくなって、夢は一歩叶ったけれど、寂しくなったのは事実である。華ちゃんへのラインは相変わらず既読スルー。僕は寂しいとき、細々と、犬の写真をインスタグラムにあげるようになって、三ヵ月ほどが過ぎた。あるとき、見覚えのあるアイコンのアカウントから、フォローがあった。華ちゃんだ、僕はすぐに気がついた。華ちゃんは、一回だけ、僕の犬の写真にいいね、をくれたのである。嬉しくないはずがない。華ちゃんがどこで何をしていても、全く近況を教えてくれなくても、会わなくなっても、その、犬へのいいね、は、あのときの未熟な僕との二人の時間は、確かに意味があったんだね、という僕の問いへの答えであるはずだった。もしかしたら華ちゃんだって何か僕がいなくなったあと苦しいこともあったかもしれない。華ちゃんは事あるごとに言っていた。

「私、長女だから誰かに甘えるなんてことできないの。」

介護の仕事で苦しいとき、華ちゃんからのラインは嬉しかった。僕は華ちゃんに対して何も有効なことはできなかったかもしれない。でも犬へのいいねは、またいつか来ると思っている。もしコメントが来たら、あの時は、ありがとう、と臆面もなく言うつもりだ。