がんばれないひと。

統合失調症歴10年。34歳男の雑記です。3年後までに文筆で成功し、犬とともにアメリカ移住を目標にしています。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

後悔の考案。

恥の多い人生を送ってきました、とは太宰治の言葉である。太宰治は物に執着することは生涯なかったのだろうか。現代の物があふれかえった日本を目の当たりにしたら何を思うだろうか。僕は、物に対して恥が多く…というか、ある時期に物という物を捨てまくっていたときがあった。物の神様に申し訳ないことをした。捨てた物はもう二度と戻らない。

何を捨てたか記憶を手繰ってみようと思う。特に多く捨てたのはファッションアイテムである。帽子、眼鏡、服、靴。総額20万円は無駄にしたであろう。丸々、その額面が借金になった。残りの10万円は風俗だ。風俗はこの際、無駄とカウントしない。問題はまだ使えるのに、捨てまくったそれらの物だ。

 

一番、気落ちするのは、誰かが、長いこと愛用した物を見るときだ。

 

あれは、心に傷をつくる。

 

僕は今、後悔というやつをしているのかもしれない。だが後悔するやつは馬鹿だというのが定説である。だから後悔はしたくないし、していないと思い込もう。

ある時、何とはなしにインターネットのあらゆるサイトを見ていたのだが、インターネットには、"インターネット上にのみ存在する作品"というのはない。作品というのは何らかの創作物やアートのことである。絵画は美術館にある。彫刻も美術館にあるし、写真や音楽や映画や小説はまだ記録媒体がある。僕はひっそりとあるサイトを立ち上げることを空想する。サイト名は、『ボロボロスタジアム』。まずボロボロスタジアムと直打ちしないと検索に引っかからないサイトである。サイトに飛ぶと、今にも朽ちかけた木製のドアの画像がある。表示されるのはその画像だけだ。

クリックすると、おもむろにsnsのような画像投稿画面になる。
インターネットにおけるゴミのような存在の『ボロボロスタジアム』は、基本的に僕が一人でボロボロになった物の写真を投稿して更新されるサイトだ。

罪滅ぼしに、僕はボロボロになった物をいちいち写真に収めて投稿するのだが、こうするとバーチャルと現実を兼ねたゴミ屋敷が誕生する。これは、悔し紛れと思われてもかまわない、どれだけ負け惜しみと言われてもかまわないが、存在という概念を揺るがすことを目的としたサイト自体のアートなのである。

僕は、絶望したときにボロボロスタジアムを訪れ、ボロボロになった物を、それもボロボロになるタバコを吸いながら、もったいないなぁ!と言いながら涙するのだ。