がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

スター不在のワールドカップ。

今回の大会は、色々ぼくも考えさせられることがありました。

 

メッシ、ネイマールクリロナスアレス、このあたりの誰かの大会になると漠然と思っていたのですが、そうなりませんでした。

 

ベスト4のうち、フランスとベルギーが決まりましたが、

 

どちらも優勝候補の一角ではありました。

 

しかし、スターというスターはいない。

 

ムバッペ、ルカクはいるかもしれないですが、

 

先に挙げた選手たちに対する期待には及ばなかったのではないかと思います。

 

そこで、今大会は、才能という言葉を少し疑うようになりました。

 

サッカーは努力ではない、という持論が僕にはあります。

 

いや、途中までは努力であることは認めます。でも最後の栄冠は努力を超えた何かにある。

 

そうでないと、やはり人生は無味乾燥としたものとなってしまう。

 

僕はイチローが嫌いです。

 

誰よりも努力していたというのは

 

日本人の誰もが知る通り。

 

でも努力ってしんどいんですよ。

 

やっぱり成功するためには血の滲むような努力。と言われると、

 

では努力が継続できない人は

 

どうなるのかと思ってしまうんですね。

 

希望のある努力があるとすれば、

 

サッカーの場合やはり貧困とかそういうサッカー環境の悪さから勉強とか生活どころではなかったけれど、

 

サッカーをやっていたときだけは

 

至福だった、みたいな話です。

 

スラム街出身のサッカー選手みたいな

 

のが、あるべきチャンピオンの

姿だと思っていました。

 

それはサッカーに限らず他のスポーツでも言えます。

 

あるいは文学なんてのもそうでしょう。

 

今日、芥川賞選考委員の村上龍がやめた、というニュースが入ってきました。

 

村上龍は、いわば最後の、日本の文学の世界のスターだったのではないか。

 

そう思えます。

 

村上龍が推した芥川賞受賞作家の作品はどれも本当に面白かった。

 

それでも、彼らはスターにはならなかった。

 

一小説家として、このグローバル化、情報過多時代に生きているだけ。

 

それは時代の流れなのかもしれません。

 

ワールドカップにもその影響があったのかもしれませんね。

 

また、エゴな突出した才能ではなく、謙虚な努力の才能が、勝つような時代になったのかもしれません。

 

僕はサッカーや文学を、

 

一つのその時々の目安にして

 

生きてきました。

 

そう思うと、何か自分自身にも変革が必要なのかもしれないと思いました。

 

スターは軒並み揃って負けたワールドカップです。