がんばれないひと。

統合失調症歴10年。34歳男の雑記です。3年後までに文筆で成功し、犬とともにアメリカ移住を目標にしています。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

どっちでもいいという生き方。

多くの人は馬鹿だから、

 

お得な生き方を目指します。

 

お金が浮いたからラッキーとか

 

意中の彼女と付き合えたからラッキーとか

 

志望校に合格したからラッキーとか

 

そういうのはキリがないですね。

 

しかしラッキーというのは本当は

 

もっとよくわからないものなはずなのです。

 

僕は二十代のころから、そういうことを

ずっと考えてきました。

 

当時の友達で、一緒にテニスをやっていた子があるときテニスが終わった帰りに、目の前にある交差点を見て言いました。

 

「これ、どっちでも行けるよね」

 

その交差点は、真っ直ぐか右のどちらかに行ける横断歩道があって、

 

真っ直ぐの道の信号が赤のときは右の道が青でした。

 

逆はその逆です。

 

しかし右に行ったあとで向こう側に渡るにしても幅が狭いために、信号に関係なく簡単に渡れてしまうのです。

 

言葉通りに、信号に関係なく真っ直ぐでも右でも、いずれにせよ、目的地に着くようになっています。

 

思うに、人生とはそういうものだと思うのです。

 

お金がないからこそ得ているものは、金持ちには得られないものかもしれないし、

 

意中の彼女にフラれたらフラれたらで違う魅力的な異性と仲良くできる可能性があるわけだし、

 

志望校に合格したら、まわりのレベルが高すぎて劣等感から引きこもりになってしまったなんて人も現実にはいます。

 

で、まあでもそういうことを言っても、それはそれでキリがないわけですが、

 

要するに、環境適応力の方が、目的遂行力より大事だというのがこれまた真理なのです。

 

だから自分は頑張らないというわけではないのですが、

 

一度そういうふうに考えて、それで、なーんだ頑張らなくてもそれはそれでいいことあるんだな、を体験すると、さほど物事にこだわらなくなります。人生塞翁が馬で、気楽に生きていけます。

 

ただ、僕はそのどっちでもいい生き方を体感して実際にそうだなと思うには、

 

知識や情報や観察力みたいなものは必要だと考えます。

 

右の道に行っても、時間に差がなく、目的地にたどり着くことを知るためには、あちこちまわりを見渡してみないと気づきません。

 

そういう意味の労力はあるので、

 

一見、気楽すぎるように見えるどっちでもいい生き方も、それはそれで一つの仕事みたいなものなのです。

 

どっちでもいい生き方の最大のメリットは、実利が手に入ることで、最大のデメリットはロマンみたいなものがないことでしょうか。

 

他をさがすよ、と簡単に異性をあきらめられる人は、長い長い苦労の末の結ばれた愛みたいなものにあまり共感できないかもしれません。

 

でもそれですら、どっちでもいいというのが真理。

 

僕はそういう真理を発見するためにも文章を書き続けます。