がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

統合失調症、煙草は百害あって一利あった。

GIGAZINEの記事にあったんですが、

コロラド大学かどこかの研究で、煙草のニコチンが、統合失調症の脳内の機能低下止めに効用があると発表されました。

 

わかってることは以下です。

統合失調症患者の8割は喫煙者ないしヘビースモーカー

 

統合失調症患者は癌で死ぬ確率が高いわけではない

 

ここから言えることは、統合失調症患者に限っては、煙草は百害あって一利あったという事実です。

 

上述の研究によると、ニコチンを含んだ薬を開発しているらしくうまくいけば他の躁鬱などの病もカバーできるのだと言う。

 

村上春樹の小説で、こんなシーンがあります。

 

一日二本しか吸わない高齢の喫煙者が、話しかけられるのです。「あなたは健康のために煙草を吸っているんですね」

 

またフェリーニの『道』という映画には、ザンパノが、河原に落ちている石に、「こんな石ころでも何かの役に立っているんだ」という名シーンがあります。

 

煙草というのはそういう存在なんじゃないでしょうか。

 

例えば将棋ってありますよね。

 

あれが強い人って、持ち駒を余すことなく全部使って勝つことに、なにかしらの美意識を持っている人はいそうです。

 

食堂のおばちゃんが、よく食べる男子学生に「こんなに綺麗に食べてくれて作り甲斐があるわ」

 

という気持ち良さの類ですね。

 

でも煙草を擁護するわけではなく、

 

そういうのって真実だと思いますよ。

 

僕はこういうことに気づいてから、何かを悪いと言うのはポジション的に難しいのを自覚しています。

 

本来、否定すべきものなんて世の中にないんですよ。カントを研究している哲学者が好みそうな話ですが、誰かが死刑になったとします。しかしもし死刑がなく30年後くらいに服役して出てきて、その間、人の役に立つことをしなきゃと、黒澤明の『生きる』ばりにアンテナを張ってたところ、

 

子供が二人信号無視して歩いている。ダンプカーが二人に気づかず突っ込んできて、それを、チャンスだ!と捉えて二人を突き飛ばし、自分が身代わりになって死んだとしたらどうですかね。

 

死刑に値する犯罪をおかしながら、二人の命を救う可能性だって、生きていたらないとは言えないわけです。

 

ただ僕は自分でそう言っておきながら、やっぱり死刑という制度はあった方が良いと思います。

 

こうやってつらつら考えを述べれるのは、自分が、死刑に値する犯罪をおかした人の被害者ではないからです。

 

なかなか、上に述べた理想があっても、いざ自分が被害者になるとそういう立派な発言はできないものです。死刑廃止論者もそこはフェアに自分を直視した方がいいでしょう。