がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

短編小説『憧れの風俗嬢』を書いた。

『憧れの風俗嬢』

都会といえば都会、場末といえば場末。田舎ではないが、洗練された土地ではない。三十の頃、私は職業訓練校に二ヵ月間だけ通っていたことがある。ウェブデザインという名のついたクラスであった。何をするかといえば、Adobe社の有名ソフトウェアであるIllustratorやPhotoshopの実習である。なぜ私は職業訓練校なぞにいたかというとこれまた理由としては私が統合失調症にかかり、それまでのシステムエンジニアの会社を退職し、つまるところお金がなかったからである。というのは今がどうなっているのかはわからないが、当時は給付金が、職業訓練校に通い続ければ、一月に十万円ほど支払われるというシステムになっていた。週に五日間、毎日五時間の講義を受ければ、給付金が支払われる。もちろん面接ではそれらのソフトウェアを使いこなすことで将来的にウェブ制作会社に就職するという展望は、給付金が支払われる以上、話さなければ入校できなかったように思う。私は面接に合格すると、入校を決め、なんとも寂れたような感じのする千葉の東の方の学校へ通っていた。

学校といってもそこはただの雑居ビルの一室でまわりにパチンコ屋がひしめき、コンビニ以外目立ったチェーン店もないような陰気な様子の土地であった。私は結果としては二ヵ月でその学校をやめることになった。半年のスケジュールであったので、短い在籍期間であっただろう。私の他に私が在籍していた前に辞めた者も一人だけいた。

私はなぜ辞めたかというと、出席の日数が足りなくて給付金が支払われないとなり、自ら辞めると申し出たのだ。しかし、今となって振り返ってみると、授業自体に何か不満があったということは特になかった。時給千円の仕事だと思えば、まあ割に合うような感じはしていた。が、私はとにかくそのクラスにいるのが苦痛だったのである。休憩時間にすることもなく、友人もできなかった。私は貸与されたパソコンでワードプレスの構築の仕方を検索し、本格的なブログで収益が出るような方法を模索していた。だが、ブログで収益が出るというのは要するにアフィリエイトといういわば小売の代理業であるが、何か商品を売るためには商用的な文章ばかりを書く必要があった。それはどうにも私の性には合わなそうだった。私はワードプレスの構築方法だけを学び、一度だけ得た十万円をあてにして、退校した日の前後になんとはなしに夜の歓楽街に足を踏み入れてしまったのだった。

女の子の源氏名はあいみという名前で、それは私が初めて恋をしたプロの女性だった。私は、結果から言うと、あいみちゃん以外のプロの女性をたくさん見ることにその後なったわけだが、記憶の中であいみちゃんだけが独立している。特別に美人というわけでもなかったが容姿は整っていた。初めてあいみちゃんと接したとき、あいみちゃんは、予定の時間より大幅に遅れて登場し、私が吸う煙草を嫌った。そして全身に舌を這わせるプレイが得意で、そのプレイの様子はいわばアーティスティックですらあった。しかし、あいみちゃんは言った。

「掃除のバイトかぁ大変そうだな。あっでもあたしも回転寿司屋でバイトしていたことあったな」

私が訓練校をやめて掃除のバイトを始めた話をなんとはなしにしていたときだった。

私はその時間にルーズで、背があまり高くなく、均整のとれた身体つきで、真っ赤な口紅が似合うあいみちゃんが、割烹着を着ているところを想像し、恋をしたのだった。

思えば学生時代にも私は風俗に行ったことはあった。だが風俗嬢に恋をしたことはなかったし、ましてや当時は統合失調症発病前後である。記憶力が良い私が断片的にしか記憶がないのは、八割方病気のせいである。だが、あいみちゃんは違った。

二回目にあいみちゃんを指名したとき、あいみちゃんは拙いものいいでありがとうと満面の笑みで言った。あいみちゃんは顔は整っているのに歯がおかしかった。いびつな生え方をしていたのだ。私は、三回目に奮発してホテルでのプレイに臨んだときに、それを発見した。

「あはは、そうなの、あたし歯が変なの」

私はあいみちゃんの歯を舐めてみると、奥まったところにあるせいかうまく舐められなかった。しかし以来私は脚フェチでも胸フェチでもなく、歯を舐めるのが一番性的嗜好を満たしてくれることを知った。あいみちゃんは一見清純に見えたが、おへそには海外のアーティストみたいなピアスがしてある。私はあいみちゃんが歯を隠し、おへそを隠して、回転寿司屋の客が食べた寿司の皿を数えるところを想像して、これはただの男の欲ではなく、恋なのだといつも自慰でプレイが終わるときに思っていた。だが、五回目で私はあいみちゃんにはもう会わなくなった。

それはあいみちゃんが、

「そんなにお金ないんだったら無理して来なくていいよ」

と言ったことも理由としてあったが、何より最後にいつも自慰で終わる私とのプレイに、あいみちゃんが罪悪感を抱いているのが5回目にして感じ取れたからであった。私はホテルからあいみちゃんと別れるときに、交わした会話を覚えている。あいみちゃんは猫が苦手で、スポーツタイプの自転車が好きだった。あいみちゃんはチラッと私が乗ってきた赤のクロスバイクをみて、

赤もかわいいよね、と言い、私は水色のやつに乗っていると、ギャンブル好き同士が互いにギャンブルの話をするときのような純粋な様子で言った。

私はそのとき自転車の話はどうでもよく、要するに恋の対象になる女は、自慰でしか射精できない、ということについて、これは一体何なのかと深く考え込んでしまうようになったのだ。

三島由紀夫は言った。

「恋の不可能性に恋をする」

三島を解説したいくつかの本によると、三島の文章は変だというのを丁寧に説明しているものがあった。変だ、という部分は、派生して考えると、私の、あいみちゃんに対する心と身体の反応のギャップそのものでもあった。私は三島の読者が一様にその解説を読まなければ理解できないのかどうかは真摯な問題であった。というのは、私にとってみたら、それは変ではなく、実際に起こったことなのである。つまり、普通の人間は、恋をした女性と結婚し、何の戸惑いもなく普通にセックスができて、子供が生まれる。そういう人たちには三島は理解できないのだろうかという疑問がまずあった。それは実にその後の生き方を左右する重大な関心ごとである。

芸術が理解できないというのは、何億私のもとに積まれようと私は嫌だった。だが芸術が理解できないのが辛いと言って自殺してしまうような人間は古今東西、私は見知ったことがない。つまり、芸術というのは不必要な要素があるのだ。生活や平和に関係ない、無駄なものだというのが私には不思議に思えた。なぜなら、三島はノーベル賞という一番名誉のある賞に近かった作家である。デビットボウイやフランシスコッポラなど影響を受けた人物は海外にも数多いるし、日本での知名度も抜群である。それが、その人とその本が生活に関係ないのである。もし、あいみちゃんに私が普通に欲情し、普通に性行為で射精できたのなら、その瞬間に三島ひいては芸術が私の頭の中で崩れさるのだろうか。そのとき、私は今、そのようなことを思っている私は私ではなくなるのであろうか。そのようなことを延々と考えていくうちに人生がはやく終わって欲しいという欲望すら私には芽生えたのである。

私は掃除のバイトを辞め、その後、職を転々とした。その間に数多の女が私のまわりを通りすぎたが、あのあいみちゃんに抱いたほどの、人生の深淵を覗いたような感覚はもうなかった。要するに私はカレーライスを食べるように射精し、ビールを飲むように女の子にニコニコ話をしていただけなのだった。私は、一年前に一度だけ、あいみちゃんに店の外で会った。たまたまあいみちゃんの出勤中に見かけたのだ。

あいみちゃんはこの街に不釣り合いな洒落た編み編みの真っ白な日傘をさして俯いて歩いていた。

私が、あいみちゃんじゃない?と話しかけると、合間を取って立ち止まり、ああー、と声を出した。そして、

「気づいてくれてありがとう、でもあたし今遅刻してるの急いでるの」

そう言い、立ち去って行った。一年が経った。いつのまにか風俗店のホームページからはあいみちゃんの名前が消されていた。あいみちゃんは、もうこの街にはいない。その事実がなぜだか今度は私を、なぜだか前向きに、勇気付けた。体を売って稼いだお金で歯は矯正しただろうか。あいみちゃんに会うことは二度とない。今、私はブログではない媒体にのせる文章でわずかなお金がもらえる仕事についている。あいみちゃんが猫を苦手とするように相変わらず商業的な文章を書くことができない。