がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

統合失調症と正負の法則。

さて、統合失調症は孤独に耐えられる我慢強さが必要と書きました。

 

でも実はこれだけだと実に簡単なのです。

耐えていればいいだけですから。

 

僕はいつも思うんですが、"これだけやっていればいい"というものは人生において一つもありません。それがたとえどんなに良いとされていることであってもです。

 

例えば受験勉強であれば勉強だけすればいいのは正解です。それだけやれば、いつか合格という結果が出るでしょう。ただそうすると、勉強だけすれば良いという価値観は、合格と同時になくなります。勉強がどれだけ尊いものでも、アインシュタインになれないのであれば、他のこともやらないと人間としていつか綻びが出るでしょう。

 

スポーツ選手でも同じです。サッカーならサッカーだけやっていれば、人気プロサッカー選手はそのときはいいですが、いつか引退という時が来て、他のこともやらないといけなくなります。たとえ一生分稼いでいたとしても、世界を知らなければいずれ宝くじが当たって堕落して破産する人みたいな人生になるでしょう。

 

よく考えてみると、たとえそれがどんなに良いことでも、"これだけやっていれば大丈夫なんだ"というのは一種の怠惰であることがわかります。

 

人間は疲れることが嫌な人が多いため、あらゆる便利なものが開発されますが、たとえばマラソン選手にとってみたら走ることは普通の人には苦痛でも快感になるのです。つまり、これだけやっていればという対象を持つことは大切ですが、それをやっている中で少しも苦痛を感じないというのは危険信号であるように人間と人生はできています。

 

永井均をはじめとする日本の哲学者が才能を発揮して、才能だけで生きていけるような状態は倫理的にどうなのか、という疑問を呈しましたが、その答えを僕なりにまとめると、「ある分野で一番になれるような功績を残せる人のみそれは許されるがその後の人生は保障されないため、結果として多くの人は何か他の対象についてもイヤイヤながらやった方が人生に正負の法則があたらない」

 

というふうになります。

 

よく才能を伸ばすためにそれだけやっていればそれが生きる社会を提唱する人がいますが、あれは実は怖いものなのだと統合失調症という正負の法則が一度当てはまった僕は思います。

 

しかし、知る、ということには正負の法則が当てはまらないのです。

 

僕は上に述べたようなことを知った上で、統合失調症になって良かったと思うときも僕の人生にあります。誰かの苦痛は誰かの楽。

 

不幸を幸福に変えるのは、いつでも良質な世界の認識の仕方の中にある。