がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

性欲をコントロールする方法。

一番の前提としてあるのは、

セックスで射精するのと、オナニーで射精するときの脳内が感じている快楽の度合いは同じである、というのに尽きます。

 

セックスしたいなぁと感じるの脳の部分と実際に行為をしているときに感じる脳の部分は別の場所のようです。

 

ここから言えることは、セックスしたいなぁと感じる欲求を最大化させておいて、オナニーに臨むのが、もっともある種の人間にとってはコスパがいいという結論です。

 

セックスとオナニーに本質的な差はない、ということです。

 

セックスだってマンネリ化したら快楽を感じなくなる。

 

で、僕はある言葉を昔、風俗依存であったときに風俗嬢から聞きました。

 

それは、「こんなにたくさん老い若いに関係なく風俗を利用する男がいるのを知ると、"あなただけを愛している"という言葉は信じられない」

 

これはある意味で真実であり、真実でない部分もあります。

 

心と性は別である、というのが真実であるからです。

 

たとえばどんなに相思相愛のカップルがいたとしても、魅力的な異性が現れ、男女関係なく性欲を感じる状態であれば、

やはり行為はできるというか、貞節や不倫禁止などの定めがなければ、人間はそういう状態のときセックスするんです。

 

つまり性に関しては、"この人じゃないとセックスできない"という風に物理的になっているほど人間は綺麗な生き物ではないのです。

 

ただ人間として愛しているという部分は、付き合った年月にも比例するでしょうし、それは心の状態としてはあります。

 

ただ僕は相性という面においても懐疑的なところがあります。

 

アドラーという心理学者は、自分に構えさえできていれば人間はどんな相手でも愛し結婚ができると説きます。

 

これは要するに、趣味や相手の社会的ステータスや価値観などは、いくらでも自分自身が環境によってあるいは努力によって変えることができるというのを意味します。

 

そういうことを考えていると、一見、よく流行りの歌などである、出会えたのは奇跡、というフレーズがありますが、あれが嘘に思えてきますね。ただ僕はペシミストではないので、裏の裏をかいて、あの言説は正しいのだと思います。

 

というのはたいがいアドラーを知ると、奇跡的な恋愛というのがありえない、人間はその気になれば誰でも愛せるんだ、と、なるでしょう。そういう感情があるのを男も女も知識として知った上で、カップルになるのであれば、一人がそういう気になる確率ですら低いのに二人がそうなるという意味でやはり奇跡だと言えるのだと思います。