がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

ヒューマニズムと批判。

ヒューマニズムの思想の持ち主が何かについて批判をするのは、矛盾です。

 

ヒューマニズムというのは、フェリーニの映画『道』にある、「この小さな石ころでも何かの役に立っているんだ」という言葉に象徴される精神です。

 

もしその立場に究極的に立つと、どんな人間でもOKとなるのではないでしょうか。

 

ヒューマニズムというのは、つまり、変化のことです。

 

犯罪をおかした人が立派に更生するなどがわかりやすい例でしょう。

更生させるために犯罪を批判するなら分かるのですが、更生しなくても愛情を示すのが真の意味でのヒューマニズムではないか。

 

でもそうなってくると、弊害があって、

自分が堕落するんですね、その精神だと。

 

だってどんな人間にも愛情を示していたら自分も悪人でもいいやとたいていなるじゃないですか。

 

だから批判はただ単に自分に自信がないことを前提にした行為なんですね。

 

だってどんな人間も許してなおかつ自分はそうならない自信と結果があれば、

批判するのはヒューマニズムの真の意味において違うわけですから、しない方が矛盾がない。

 

そういうことが背景にある上で、やっぱり自分はそんな立派になれないという奴が、人を批判するんです。

 

つまりは自分にその批判を言い聞かせているんですね。

 

それは自分のためなんです。

 

そういうのですら嫌だという真のヒューマニズムの体現者が立派になれる持つべきものはプライドです。プライドというのは、品格の部類です。

 

言い換えれば、すぐに批判しときながらヒューマニズムを語る人間は、プライドの低さが浮き出てしまう構図になっています。

 

ヒューマニズムと誰かを批判することは基本的に矛盾することなのだ、と常に頭に入れている人が、あるべき姿だということを、

 

実は、ヒューマニズムを扱った芸術作品は端的には教えてくれません。

 

それは、自分の内面から気づくのがベストだから、というのもあるでしょう。

 

批判は、別に悪いことではなく、活気が出るものなので、たくさんあっていいものだと思いますが、

 

この世の中のどこかに、ヒューマニズムと批判は本来相入れないものなんだ、矛盾なんだ、だけど自分はどんな悪人もニコニコして受け入れて、何の見返りもないけど、プライドで持って、自分はこの悪人を許容するけど自分はそうならないんだ、という人間を想像することが、批判の前に来なければ、と思うところはあります。