がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

結局どんな高尚な人間も俗物に救われる。

一般的にテロリスト、アラーの教えに沿って自滅すれば天国に行けるという過激派は、その根っこにある思想は、ちゃんと読んだことないけど、マックスウェーバーのプロ倫、あの資本主義社会が発展したのはプロテスタント流の合理にあったと説明する趣旨と、大差ないんです。

 

信仰というか信念という意味では。

 

オウム真理教だって、入信した人は似たような考えだったのではないか。

 

とすると、イスラム過激派がダメでオウムもダメでプロ倫の対象のプロテスタントが合理であったという違いが何にあるかと考えると、俗物の思想に触れるか触れないかの違いだと思うんです。

 

俗物って勘違いされやすいんですが、僕はあれはあれで一つの才能だと思っています。

 

筒井康隆は、健康志向で煙草撲滅志向の人間を俗物、すなわち、二元論を解さなく、スポーツが好きで、男女共にエロいことばかり考えている連中、と揶揄していますが、

 

そういう一面はやはり才能といえば才能なのです。

 

やろう、なりたい、と思っても、例えば筒井康隆みたいな作家にはできないことです。

 

それをなぜ才能と言えるかというと、

 

そういう俗物的発想というのは、

 

イスラム過激派やオウムにならないための防壁になると思うからです。

 

俗物は、確かに低脳だったりしますが、

 

その分、人間の持つ、三大欲求や、それに付随する極めて人間らしい低俗な感情を何の疑いもなく持っていて、彼らの快不快や、カッコいいカッコ悪いや、すごいすごくない、は実際に役に立つのです。

 

というのは、例えば、LGBTではないのであれば、俗物が認める美人や美男は、その世界に入れば確かにその通りの価値があったりするわけです。アダルトビデオがアダルトビデオとして、あるいはサイトとして成り立っているのは俗物的美意識、あるいは最大公約数的美意識がビジュアル面で用いられているからであり、

 

高尚な人向けの欲求発散は違うもの、例えば映画だったり本だったりします。

 

人間は理性が強くなると、俗物的美意識を容易に捨てられるようになりますが、

 

これを捨てるときには、もしかしたら自分がイスラム過激派やオウムになってしまわないかなどの一線に敏感になる感情が、その後それらにならない人にはどうしたって必要なのです。天才以外。

 

で、その感情は、種類としては極めて俗っぽいものなんですね。だけど大事。

 

そこに無頓着な文化人には、天才以外やはり大局が見えていないのでしょう。