がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

統合失調症患者の幸せ。

統合失調症というのは国や民族の違いなく、百人に一人という割合で発症します。

 

先日友人に、日本はまだまだ病気に偏見があっていづらかったら外国に行くという手もあるね、みたいな話をされました。

 

僕はそういった行動には慎重です。

確かにまだ偏見自体は多いです。会社も法定雇用率が上がったとはいえ、本音では統合失調症患者を雇いたくない。

 

僕は生活保護障がい者年金を受けていますが、十分にただ生存のためであれば問題ないところが現代日本のいいところです。

 

僕はそれを実感しています。

 

ただ偏見というマイナス要素で考えると、大多数の価値観からは遠ざかる覚悟は必要な病気です。

 

そしてそもそも統合失調症の幸せとは、なんでしょうか。人それぞれ違うと思いますが、たとえば統合失調症患者だらけの社会は居心地いいとは思えません。

 

統合失調症患者が全員、手厚いサービスが受けられて、ぬくぬくしていたら、それはそれで問題なわけです。136,429円という月収が全てを物語っています。

 

統合失調症だからといって普通の生活困窮者と変わりません。

 

だからこそ、やはり何度もこのブログに書いている通り、統合失調症の利点を生かさなければいけないわけです。

 

統合失調症患者がなんらかの健常者にはない能力を発揮しないと、いつまでも偏見は偏見のままです。前の投稿にも書きましたが、健常者が当たり前にできることを苦労してやるのは得策ではありません。

 

また僕はA型事業所や病院で数多くの自分と同じ患者を見てきましたが、症状がないときはいたって普通で、

 

むしろ、世の中の社会問題を引き起こしているのはまったく病気でもなんでもない強欲な健常者です。

 

坂口安吾も、ある精神病患者の覚書、みたいな文章で、統合失調症患者は謙虚であるというようなことを書いています。

 

そういったことを考えると発症率1パーセントは、社会的な意味を持ちます。

 

つまり、誇大妄想ではなく、我々統合失調症患者の感性がなければ、残り99パーセントはまわらないんだ、と考えるのが正しいでしょう。

 

たとえば介護ってありますよね。介護施設にはもう体も頭も自由がきかない人たちがたくさんいます。弱者です。

 

しかしこの弱者を排除すれば国民の幸福度が上がるかといえばそうではない。

 

五体満足の、すきあらば異性関係の円滑こそが人生の喜びと考え、そのための頭脳だけが鍛えあげられた、深みのない健常者だらけであれば、欲望が肥大化して、人間の持つ緊張感がなくなります。

 

統合失調症患者は、現代の医療を全て駆使して体調を整え、このマイノリティの状態をチャンスだと思えると、人生が楽しくなります。

 

それはちょうど五木寛之らが、老後の楽しみは孤独を楽しめること、という内容の本で唱えている、人生の楽しみ方に似ています。

 

コツがあるわけです。生活保護障がい者年金は、いわば一歩社会から降りたようなもの。上述した類の人生の楽しみを、前倒しでもらったと考えると、普通の同年代が送っている生活が送れなくても、必ず自分にあった個性的な幸せがやってきます。

 

僕は今、夢もあり、暮らし向きもよくなって、とても幸せです。

 

僕は真理を学んだのです。伊藤忠丹羽宇一郎さんは、仕事以外には人の成長はない、とこう言います。しかし、その仕事というのはなんらかの苦労が伴うものであれば、何でもいいわけです。病気の症状に苦しむというのも立派な仕事です。

 

問題なのは全てが快である状態です。

 

これは統合失調症も健常者も同じ、と思います。