がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

僕がサッカーを観る理由。

サッカー選手をたくさん知っているから、サッカーを観るのではない。

サッカーの戦術を楽しみたいがためにサッカーを観るのではない。

サッカーが上手い選手の技術を観たいから。これは理由のうちの一つ。

だけどもっと大きなサッカーを観る理由がある。

 

それはサッカーの試合の90分が人生の縮図だからである。

 

サッカーほど試合の流れが目まぐるしく変わるスポーツはない。そして運の要素が結構ある。それらが組み合わさると、波のある生き方をしている人にとっては他人事には思えない学びがサッカーの試合にはある。

 

前半で2点取って後半に3点取られたが、ロスタイムに同点にしたというような試合が一番わかりやすい。

 

2点取った時点では順調なのである。後半引き締めればいい。だが3点取られると順調だったときの快感が一挙に無になる。そこでまたロスタイムに突入して同点にすると、まるで勝ってもいないのに勝ったかのような興奮がある。

 

このような波を観察し、その過程の中で何が起きたのかを観ることで自分の人生の出来事と重ね合わせることが可能なのだ。

 

だから応援しているチームではなかろうとついつい見入ってしまう。だがこれにもまたポイントがあって、

 

その、人生の縮図を観る舞台は、頂点でなければ面白くないのである。

賞金や名誉がかかった試合は、選手たちに強烈に緊張感がある。

 

観戦者がずるいのはここである。なるべくなら自分の人生の中でそんなハイプレッシャーの状況に陥りたくない。

 

そこそこ緊張してそれなりの充実感が持てる仕事をして、妥当な対価を得られればそれで良いという人がおそらく大多数である。それが世の中にサラリーマンが多い理由だ。

 

だがたとえばワールドカップは、もし点を決めて優勝すれば、国の英雄なのである。逆にオウンゴールを決めて負ければサポーターに射殺されることもある。

 

そんな全世界が注目するスポーツはサッカー以外にあまりない。

 

究極の勝負事を気楽に眺めることができる。そして何より上述の面白味を担保するものが、勝ち負けに身体能力のハンデが影響されないというフェアさだ。背が小さくても足がそんなに速くなくても、活躍できる。よくできたスポーツである。

 

波が激しい人生を人は嫌う。なるべくセーフティーに事を、人生を運ぼうとする。実際に波が激しい人生を送るのは大変そのものである。だがそういう人には普通の人より、サッカーの試合を百倍くらい楽しめる特権がある。