がんばれないひと。

統合失調症歴10年。34歳男の雑記です。3年後までに文筆で成功し、犬とともにアメリカ移住を目標にしています。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

無知の知の法則は最強だ。

僕は人を判断するときに、ある法則を重んじます。

 

それはその人が、自分の立場に誇りみたいなものを抱きすぎた言動をしていないかどうかです。

僕は、サルトルが、ノーベル文学賞を受賞したのを辞退したときに言った言葉を重んじます。

「人に賞を与えることによって優劣はつかない。つくべきではない」

そう言って受賞を拒否したのです。

 

まさにそういう人物であるからこそノーベル文学賞を受賞するわけなのですが、

 

僕は世の中の人はみんな自分の仕事にプライドみたいなものを持ちすぎてるなあ、と思うことがあります。

 

きっとそういう人はサルトルのこの言葉を知らないのでしょう。

自分がいかに努力してきたか、自分がいかにその道に関して知識があるか、自分がいかに正しいか、

 

そういう匂いのする人間は、会社人間としては立派なのでしょうが、一個の人間としてみた場合、魅力的にはうつりません。

 

ゲバラは、革命家として成功し、名をあげたのにもかかわらず、殺されるとき、「躊躇するな、お前の目の前にいる人間は、ただの一人の人間だ」と言ったそうです。

 

これは無知の知の法則にもつながるものです。つまり、叩かれるのがいやで

 

自分を尊重しすぎる人間は、

 

叩かれることに慣れている自分を尊重しすぎていない人間の、学習の仕方に、人生を俯瞰してみると、

 

勝てないようになっているんです。

 

馬鹿っぽくみせるのがそれじたいに自分のステータスがある、というような人間は不思議なことに世の中たくさんいます。

そうではなく情報を得るためには、ほんとうにその情報がないわけなので、その時点でどの人間もそのシチュエーションにおいては馬鹿なわけなのだから真摯に馬鹿らしく丁重な姿勢で、人と接するのが正しい道なのです。

 

まあそういうことをこうやって説明している時点で僕は何にも成功していなくて良かった、と思うことはあります。

 

例えば介護の道で成功していたら、

今頃、介護にまつわることにだけ

立派で、自分がいかに充実しているかをSNSに載せるだけの人間になっていたでしょう。

 

そして自分の成功を得々と彼女か子供に話すような人間になっていたかもしれません。

 

それは旧来型の人間のやることであり、

 

未来を考える人間には、そんな余裕はありません。

 

もちろん旧来型の会社人間の人の中にもサルトルゲバラの言葉を尊重して生きている人もいると思いますが、僕には今の日本の三十代の会社生活で、それができる自信がありません。

おそらくサルトルゲバラも旧来型の会社人間だったら、あんなに崇高にはならなかっただろうと思うのですが、その想像には意味がないでしょう。なぜなら、そういうレールを抜けたことこそが戦略だからです。