がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

【短編小説】『統合失調症の恋人』を書いた。

統合失調症の恋人』

私は現在、34歳である。これまで3人の恋人がいた。4人目の恋人は、服だった。狭い待合室に並んだパイプ椅子。順番待ちをしていると、ドアの向こうからお入り下さいと声がかかる。ここは田中クリニックというメンタルクリニック。今はもう田中先生はいない。26歳で統合失調症に罹患した私を入院施設のある大きな病院に紹介したあとすぐに他界してしまった。いつも精神科に通うときは雲が多い日だった。

母親と診察を受ける。きっとよくなります、という言葉を最後に私と母は雑居ビルをあとにした。その頃、私は髪の毛を美容院や床屋で切ってもらう度にパニックになるという奇病にかかっていた。

3人目の恋人のマリちゃんは私を大切に思ってくれていたけれど、結局別れてしまった。その別れの理由は私のインポテンツ。マリちゃんはしきりに、なんでなのわたしの体型が可愛くないから?とか、飲んでいる薬のせいなの?とか、症状が出ているの?と私の不能の理由を訊いてきた。私はどうしてかわからない、と正直に答えることで精一杯だった。

私はマリちゃんとラーメン街を歩いていたときに寒気と何かで吐きそうになったことを今でも覚えている。マリちゃんは私をそのときたった一週間だけ同棲していたウイークリーマンションで介抱してくれた。窓を開けると雪がちらほら降っていて、吐き気と雪が私の経験した初めての札幌の酸いと甘いであった。どうにかこうにか千葉に住んでいる私と札幌のマリちゃんの遠距離恋愛を取り持ってくれたのはラインで、その頃、私には増田という友人がいた。増田は一流企業に勤めていて車や一人暮らしの都内の部屋などとにかくお金持ちだった。ただ彼女だけがいつも付き合いが長続きしなかった。短期の刹那的な別れを繰り返していた。水商売の好きでもない女とこれからデートに行く。一緒に遊ばない日の断りはいつもそんな理由だった。

発症する一年前に私はオランダのアムステルダムの娼婦とセックスをしたことがある。

私は西洋の女が好みだと考えたことはないが、マリちゃんにどうしてなのとせまられたときにその話をしようかどうか迷っていたが結局言わなかった。アムステルダムの娼婦は造形美であった。身体も顔も、まるで人工的に作られたかのような印象がある。マリちゃんは印象派の画家が描く裸婦のような身体でアムステルダムの娼婦とは違っていた。それでも造形美だからインポテンツにならなかったのかマリちゃんが言う通り発症して薬を飲むようになったからそうなのかはわからなかった。今でもわからない。リスペリドンという薬の副作用には確かにインポテンツになることがあると田中クリニックから紹介してもらった病院の担当医は言っている。とにかくインポテンツが理由でマリちゃんとはうまくいかなかった。

新しく移った病院は田中クリニックと同じ市内にある。私はそこに退院したあと通院するようになった。通院がてら、たまに週末、増田と遊んだ。キャッチボールをしていた。

増田はどうしたら彼女と長い間付き合えると思う?とよく私に訊いて私はとにかく小康状態になっていた病気が再発しないかどうかだけ気になっていたので増田の恋愛はどうでもいいと思っていた。五体満足な上、精神の病もなく、一流企業に勤めている増田の悩みが贅沢であると思っていた。

マリちゃんからラインが頻繁に来るとき増田はおまえはいいよな彼女と安定していて。そう言った。お互いないものねだりをしている状況だったがキャッチボールは続いていた。増田と千葉の亀山湖に一泊二日の旅行に増田の車で行ったことがある。水の色が緑がかっていて、季節は秋。湖の入り口にはボートのレンタルの小屋があって店番の女が退屈そうに座っているのを見て増田は、私の、あの子は普段何をしているのだろうと言う質問に、きっと地元の男とセックスしているんだろうと笑いながら言った。亀山湖の付近の民宿で私たちは夜、日本代表のサッカーの試合をみて、サッカーに興味がない増田はしきりに恋愛話をしたがった。その頃はサッカーを観ながらも、その一喜一憂が、先々現れるだろう未来の恋人を待つまでの期待の芽の機微のようになっていたが、私は34歳の今、サッカーの試合を観ているときにそのような類の青春はもう感じない。なんでだろうと考えたこともない。マリちゃんと別れたあと私は孤独になったわけではなかった。あのアムステルダムの娼婦が一体自分にとってどういう存在だったのかを知りたいと思う探究心がマリちゃんの不在を補った。

「不感症の女だからこそたくさんの男と寝る女はいる。いつか満たされるだろうという気持ちで男と頻繁にセックスをする」

私が見つけたネットの記事にはこのような文章があった。私は男だが確かにインポテンツになってから、つまりマリちゃんと別れてから、ソープランドに行くと必ず膣内射精はできないのであった。それが故にまたソープランドに行くというサイクルを繰り返したことがあったが、いつしかソープランドにも行かなくなった。だが探究心がなくなったわけではなく、1人目に付き合った女の子の言葉を思い出してやめたのだった。私が初めて付き合った女の子。舞ちゃんという名前だった。舞ちゃんは私の容姿をカッコイイと形容してくれて、
「遊び人みたいになって女の子を弄ぶだけになったら、君の価値は0になるよ」
そう釘刺したのだった。私はその言葉をそのとき正しいと思い、今でも振り返って正しいと思う。舞ちゃんと付き合っていたころは、奇病がなかった。私は至って普通の中学生だった。舞ちゃんは卒業時に一緒に行ったディズニーランドで恥ずかしいからやめて、と言った。私がお土産売り場で舞ちゃんにいいところを見せようと、何でも好きなもの買ってあげる、という言葉が指輪のコーナーだったので、まるで援交みたいになっていたのを、多感な舞ちゃんは素早く察知したのだろう。そのとき着ていた舞ちゃんの服は覚えていないが私はそのとき着ていた自分の服は覚えている。これが発症するまでの予兆であったと今なら言えるだろう。私は次第に関心ごとが自分だけになっていた。舞ちゃんは大学生のときに一度再会した。でも素晴らしい再会にはならなかった。私には何かが欠落していたのである。それは感性でも理性でもなかった。私の奇病は、例えばどこか旅行に出かけたときに、自分の容姿だけが気になって気になってしょうがないという状態になっていた。あるとき、カフカがあの『変身』を書いたという部屋、チェコにあるお菓子で作られたかのようなこじんまりとした家に観光をしに行ったことがある。私は同行していた父親にそのときしきりに当時新社会人として働いていた職場の上司が変なやつだと愚痴ばかり言っていたのを覚えている。カフカの家から近い観光客用の酒場であった。普通であればせっかく来たチェコというなかなか日本からは来られないところに来たら、もっと観光地の様子に目が行くだろうが私は違った。カフカの家は確かに魅力的だった。こんな子供部屋みたいなところで『変身』を書いたのかと思うと、クスッと笑える感慨があってしかるべきである。私にはそのようなものはあったが、それよりも何かに囚われていたのである。
病院で初めて、統合失調症と診断されたときに違和感があった。
「薬を一生飲むのですか?」
診断した担当医は、
「しばらくはそういうことになります」
と慎重な面持ちで言った。

ある曇った日の昼に私は病院のベンチに腰掛けていると頭の禿げたおじさんと対面にいることに気がついたので私は話しかけた。私は病院でこれまで少なくとも5人の人に話しかけてきたが、どの人も自分のことで精一杯なので会話が長く楽しいものになる、ということはない。

このおじさんもその類の患者で、今はこうして閉鎖病棟から解放されて外でタバコが吸えるから嬉しいとそう言った。ささやかな楽しみが、昼食時の一服。その一服はさぞかし最高の気持ちだろうな、と考えながら、私はまたセックスのことについて考えていた。私が学生時代に読み耽ったサリンジャーの小説の中でも、あの『ライ麦畑で捕まえて』だが、ホールデンが、セックスとは何か特別なものなのだ、と述懐をしている。そのことを思うにつけ、私は人とだんだんと距離を置くようになっていた。特に初対面の人には無職だけれど至極当然に今の年齢に至っています、という態度を隠そうとしなかった。つまり常識を重んじたのであった。私はその建前と本音、一方で社交性を保ちつつ一方で精神障がい者であるという孤独をいつも抱えて生きていた。たった一人、例外。私が予兆みたいなものを、発症の前触れがあったのに関わらず、自然体で一緒にいられた人。

それは舞ちゃんの次に付き合った2人目の彼女のりかちゃんだった。私はりかちゃんと出会った当時は19歳。りかちゃんはいつもポップな服を着て顔の形が丸顔だった。初対面のときりかちゃんは泣いていた。何でも失恋をしたそのタイミングで私はりかちゃんに会った。私の中でりかちゃんが最後の青春である。つまり私は単純で浅学で、何よりもミーハーなことを嫌う真のミーハーな男であった。ミーハーを嫌う男はミーハーではないという真理を頑なに信じている不誠実な男だがその今となっては稀有な時間であった恋愛期間は、その後の私に大きく予想もしない形で影響を及ぼすこととなる。りかちゃんはお洒落だったので私はりかちゃんと別れたあと、とにかく財産を服を買うことにあてたのである。それがりかちゃんへの私なりのオマージュであった。買っては捨てたり売ったりを繰り返し、私は次第に野暮ったさすら、こなれて着こなせるようになるまで服のセンスというものを磨いた。私の中のりかちゃんは、一言で表すと純真無垢であり、私は単純で浅学ではあったが計算高いところもあった。今となればその計算高さも、純真無垢の範疇であると断言できるが。りかちゃんは私と一年半の交際期間を経て服の勉強と職を求めにパリへと旅立った。りかちゃんはそれまで服飾が専門の学校に通っていて、家が裕福だった。空港まで見送りに行き、最後にみたりかちゃんはにこにこと笑っていたが、そのとき私は既に統合失調症病前性格の真っ只中にいたのである。その頃の私はなぜかいつもスーツのポケットにバタイユの小説をしのばせていた。

それがカッコよいと思っている節があったが、少なからず中身も理解していたのである。私の知識と、知識の元となった情報源が正しければ、バタイユ統合失調症ではなく統合失調症ユングゴッホと言った小説家以外の芸術家であった。つまり小説家には病気の病理がある。病気そのものに罹患しているわけではない、というのがもっぱら今となっての私の見解である。不思議なのは例えば、作中で精神病に罹患していると分析できる先述のホールデンを生み出したサリンジャー統合失調症とは疑われていない。だがこれまた当時私が痛く共感した山田花子というガロ系の漫画家は統合失調症により自殺、とされている。

なぜ病理があるだけの小説家は罹患しないのかという疑問があるが、そのあたりは私は医者ではないので確かなことは言えない。統合失調症とされる小説家のカフカは私の憧れであり、後に統合失調症と診断される男の感性をくすぐったのは紛れもなく統合失調症的文芸作品なのである。

りかちゃんがいなくなったあと私は自由であった。自由であるが故に失ったものがあるとすれば若さである。私はどんどん発症に近づくにつれて若さの極致を目指し、バブルが弾けるように発症と同時に異性を意識した容姿というものに興味がなくなっていった。その後、経験したいくつかのセックスはまさに理性との戦いであったと考えられる。私はあるとき、それはマリちゃんの裸体を見ているときに、今セックスをしているのだ、という認識が一度不自然に頭の中を通過しなければ、イレクトしない身体になっていた。文字通り、あのネットで見た記事のように、不感症であるが故に性について追うようになったのである。それが不毛なことなのかどうかは4人目の恋人に出会うまでは分からなかった。

服。単純にそう言ってしまえば、それまでである。私の友人に学生時代はスーパーで服を買っていたという男がいる。服というのはどこまでも簡略化できる。逆に言えばどこまでも、それこそハイソな服で身をまとうこともできる。あのアムステルダムの娼婦はショーウィンドウの正面で白い下着を着けていただけであった。それは身体の美に自信があるからというのも一つ私の印象に残った理由である。つまり何を着用しようが、醜いということにはならないのである。だが私はもう肉体の美、つまり若さとは縁を切る歳になっている。狭義の若年層から外れる歳である。アムステルダムの娼婦の身体は完璧そのものであった。私は3人の恋人を経て、もし自分の彼女が完璧なスタイルであったら、私は統合失調症を発症しただろうかという疑問を抱くことがある。つまり、病前性格もなく、遺伝の要素をもふりほどく強烈な美が自分のすぐそばにあったら、人生は変わっていたのではないか、という問いである。私は既に統合失調症を発症してしまっているので検証はできないが、まだ原因がわかっていない奇病なだけに、私のこの些細な問いも意味を成すように思われるのだ。つまり、

「自分の理想の美がもし、自分の手中にあり、それを思うままにできたとしたら、統合失調症的素質のようなものがあってもそれをふりはらえる」

私はそう考えながら、同時にこれまで着てきた服、舞ちゃんとのデートのときの服や、眺めていた服、りかちゃんと別れたあと買い漁った服をイメージした。その中にはマリちゃんが介抱してくれたときに着ていた服も当然ある。そして昨晩、とある洋服屋に向かったのである。

洋服屋までの距離は歩いて15分。途中、川が流れている橋を渡る。私は本当に恋人に会いに行くような気持ちで歩いていた。曇っていた。あの田中クリニックで順番待ちをしていたときの天候と同じだ。マリちゃんにきちんと説明できなかったときの気持ち。舞ちゃんに恥ずかしいからやめてと言われたときの気持ち。りかちゃんのときに訪れた病前性格真っ只中の気持ち。それらが錯綜した。それでも私は気分が良かった。これからあたたかいものに包まれるのだ、という幸せの前触れがあった。通り過ぎて行く人たちが優しそうにみえた。私は洋服屋に着くとまるで約束の場所に遅れたのに詫びない男のように、放漫そうに堂々と振る舞い、あるジャンパーに目が止まった。それは肩のところに切り替えしがある、洒落た色あせたジャンパーだった。

この見ようによっては暗い、見ようによっては洒落ているジャンパーの胸ポケットにタバコを入れてみたら、どんな気持ちがするだろうと考えた。値段をみるとそう高くもない。私は鏡の前で何度もそのジャンパーを着ている姿を映した。似合っている。少し大きいけれど、似合っている。そう確信するとレジに持って行こうとしたが、レジに持って行くまでの途中で私はそのジャンパーをそっと元に戻した。この行為はふだんの私の買い物では考えられないことであった。好きで向こうも好いていてくれている。そこに偽りはない。ないはずだが、私は自然にそっとそのジャンパーを戻し、気がつくと洋服屋の外に出ていた。そしてタバコを吸いながら、なぜだか生まれて初めて失恋した気持ちを味わっていた。その夜、パリに住んでいて今はフランス人と結婚し、家庭を築いているりかちゃんにラインをした。他愛もない内容だった。りかちゃんは至極元気そうで、子供たちはすくすく育ってるよ、と言い、どうしたの?と訊いた。私は何でもない、とはぐらかし、目を瞑った。視界の暗い、言葉だけが浮遊する世界で、あのジャンパーは世界一カッコよかったと、改めてそう思った。君はアムステルダムの娼婦よりももっと完璧だ。私はそう呟くことで、過去の美化された恋愛から解放された気になっていた。これからは若くない身体を、あの泥臭いジャンパーが包む。私には、そういうジャンパーを選び抜く意志と才能がある。明日またジャンパーは買えばいい、そういう希望が生まれたときに限って、私は統合失調症の運命を恨むことはない。