がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

頭がいい悪いとは結局人間を俯瞰して見れるかどうか。

人間は生きていつか死ぬ。

 

生きるために必要なものはこの成熟した現代の日本では、その哲学を毎日意識しているかどうか、それだけのように思う。

 

義務教育を終えたらあとは余生。誰かがそんなことを言っている。

 

あながち間違いではない。

 

義務教育を終えたら新聞くらい頑張れば読める。コンビニのレジ打ちができる。少し慣れれば外国でも英語で話せる。

 

意識がそういう文化的な方面に向かわないだけでやろうと思えばできる。

 

いわゆる偏差値とは後天的な努力であり、誰でも知識を生きていく経験とともに増やすことができる。

 

東大卒のインテリは水族館の職員ほど水中の生き物には精通していない。

 

だがそういう知識もAIがいずれ全部獲得していくだろう。

 

そうなったときに、頭の良し悪しというのは、冒頭に書いた通り、生き死にの哲学を持って、それを実践してるかどうかだけのように思われる。

 

これは中学生でもできる実践哲学である。

 

つまり、人間ずっと正、健康であり仕事が順調で友人に恵まれ家庭が平和、を目指すところに、東大卒も中卒もほとんど一緒なのである。

 

その目標がどんなに素晴らしくても世の中はやっぱり問題を抱えているのが現状である。

 

知識が正を拡大するためのものとなっている限り、そうなってしまうのである。

 

博学に何か不健全なものがないと、

ロボットにも勝てない。

 

その不健全とは俯瞰である。

 

地球上には、太るのを気にして食べたいのに食べない人がいれば、痩せるのを気にして食べたくないのに食べる人がいる。

 

ある人にとっての健全な欲は、ある人にとっての不健全な欲なのだ。

 

そこに僕は神様の平等をみる。

 

俯瞰してみれば人を妬むという

行為は、大きな誤解なのである。

 

僕はこの嗜好こそが、平和を導く鍵だと思っている。

 

お互い、お互いを、あなたも苦労しているんですね私も苦労しています、

 

となるのが理想的なのではなく、

 

真実なのである。実際にお互い苦労しているのである。そのスタンスにおいては争いはない。

 

つまり真実は平和なのである。

 

真実は残酷という言葉があるが、

 

あれは嘘である。平和を語るのは理想主義者と言われるが、あれも嘘である。

 

つまり虚構の中で現代人は生きている。

 

それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、

 

俯瞰して見れる人だけが感じ取れる幸福というのは確かにある。