がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

洗濯と掃除が好きだ。

料理が好きな人でも皿洗いが嫌いな人はいる。前にどこかのなんかの記事を読んだのだが、要するに料理はクリエイティブで皿洗いは単純作業だから、という理由があるらしい。

 

だが僕は常にクリエイティブでありたい、と思う人こそ、単純なアナログ作業を一日に取り入れた方が良いと考えている。

 

というのはこれは僕の意見ではなくて

なんかの新書で、確かお医者さんが書いた本だったが、

 

ホワイト労働の合間の手先を使う作業は脳にいいみたいなんです。要はバランスがとれるんですね。

 

ホワイト労働の合間に一服は、

 

確かに美味しいものではありますが

 

ほんとはあれ、タバコじゃなくて

なんかゴミ拾いとかデスクの周りを掃除するとか、そっちの方が気分転換になるみたいですよ。

 

僕はそういった何かを生み出すわけではない作業の中では、洗濯が好きです。

 

洗濯と言っても、もう10年前くらいのモデルのぼろぼろの洗濯機を回すだけなのですが。

 

この僕が使っている洗濯機は、もらいもので、

 

設置するのにやや戸惑いましたが、

自分で足りないパーツを買って、使えるようにして

 

多いときで1日3回くらい洗濯機を回しています。

 

今衣料などはコモディティ化というやつが進んでいるので、

 

何回もシミ落としのスプレー塗って洗うより、安くて丈夫な新しいのを買った方がという

発想も、昔はよくしていました。

 

だけど洗ってまた使えるというのが最近合理的に思えてきます。

 

服の特徴、履いたときのポケットの感じがこんな感じで、

 

着こなすときもこう着てみたいなのが熟知されるので、

 

無駄な労力がないんですね。そして服は現代ではそんなにやぶれたりは滅多にしない。服を買うという行為は単純に気分転換になりますが、

 

僕のささやかな楽しみはめいやおいに似合う服を、誕生日とかに買ってあげることです。つまり、センスを磨くために、服を買うという行為はありますね。

 

あれが究極の形になると、自分は着古した服を来て、大事にしている人に、一番ふさわしい、喜んでもらえる、センスある服を買い与えることが最終目標みたいになります。

 

そういうことを思いながら、自分の服を洗濯して、

 

あのコインランドリーで一服しながら服が乾くのを待つ人、映画なんかである、映画映えする光景を、家の中で取り入れたりしているのですが、

 

あの映画映えは、

 

コインランドリーで佇んでいる人に哀愁みたいなのを、感じるからなんですよね、

 

素朴な哀愁とでもいうような。

 

クリエイティブばかりを追い求めると、かつて映画俳優が見せた美のようなものも、欠落してくるのかもしれません。

 

僕は毎日、犬の散歩で犬のウンチをビニール袋に入れるときも大概いつも楽で創造的な思考ばかりしているので、この習慣があって良かったとか思っています。