がんばれないひと。

統合失調症歴10年。34歳男の雑記です。3年後までに文筆で成功し、犬とともにアメリカ移住を目標にしています。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

正負の法則の正の捉え方。

僕は運不運にことさら病気になってから敏感なんですよね。

 

結構自分の身に降りかかるストレスってコントロールできないものが多すぎると思うんです。都会の現代だと。

 

で、前にも書いたかもしれませんが運つまり正負の法則でいうところの正に値するものは二パターンあることがわかります。

 

一つは万人が欲しがる基本欲求を高めることができてそれが消化される正。

 

もう一つはもしかしたら世の中に僕しか消化されたときに喜びを感じないかもしれないという正。

 

美輪明宏さんという正負の法則の大家がいますよね。美輪さんはとにかく正は後回しにして負、つまり労苦を伴う努力をしなさい、とこう説くわけですが、

 

美輪さんが伝えてない部分があります。

 

そうです、先ほどあげた後者の場合の正には正負の法則が及ばないもしくはそれによって負がいきなり襲ってくるわけではないということです。

 

つまり、自分が持ってる能力で高尚なといいますか些細なといいますかつまり人が同じように思うことが少なく個性的な欲求の正というのは、どんどん突き進んでよいとする解釈です。

 

一般に正負の法則っていうとビビるものだと思います。

 

こんなにいいことがあったこのあとが怖い、というような。

 

でもそれは欲求がミーハーだからなんです。

 

たとえばもう老化がいっそう進んでいるおばあちゃんがモノが見えづらくて生きていても何も面白くないと思っているとします。

 

腰も曲り、外出が億劫になる。

 

だけどある時、どうしても外出しなければいけない用事があって表を歩く必要に迫られた。

 

しぶしぶ、外出したおばあちゃん。嫌な気持ちでいっぱいなときに、ふと道の脇に誰が植えたのかまったく目立たないように小さな花を見つけます。

 

おばあちゃんの気持ちは一気にすぐれます。もし目がもっと良ければ他の遠い景色にばかり気を取られていたかもしれませんし、腰が悪くなければ道端の小さな花には気がつかなかった可能性が高い。

 

で、この場合の花を発見したときのおばあちゃんの喜びの正は、正負の法則の正ではないのです。

 

つまり無限に今後未来永劫受け続けていい類の正なのです。

 

こういうことを、僕はこのブログに書くことにより、実践していきたいと思っています。

 

今ひとつの反論はおばあちゃんはそれでいいかもしれないが、若者が花を愛でるだけの喜び、正だけを受け続けていていいのかもっと他にやることあるだろう、となるわけですが、このおばあちゃんの花に値するものを、若年は若年の感性と好奇心で見つけるのが大切と思います。

 

そしてそれを見つけたら、その正は積み重ねていっていい正だから、どんなに変だと思われようと喜びを大にし、おおいに舞い上っていいわけなんです。