これがどう今後の支払いに影響してくるのかはわかりませんが、
とりあえず生活保護決定通知書のコピーを返信封筒に入れて送るように指示されました。
僕のもっぱらの悩みはお金です。
昔尾崎豊が金か夢かわからない暮らしさと歌っていましたが、
多くの人はこの段階で金を取るでしょう。
金をとるというのは堅実な仕事を探すという意味です。
僕は昔から仕事とプライベートというのは両立しないという考えの持ち主です。
二つともうまくいっている!
と思っている人でもそれは主観的にみて、あるいは限りなく主観に似通った価値観の客観がそう捉えるのであって、
もっと広い目の第三者からみたら
そういった生活には必ず死角がある。
僕はそれが怖い。
向上を目指すのは罪なものですよ。
何度かこのブログでも書いていますが、
向上を目指せなんてふつうどんなに偉業を成し遂げた人でも無責任で言えないものだと思います。
それでもなおかつバッシングがあるとすれば、
それはその人自身が失敗した人生の積み重ねだったといえるでしょう。
自分がそれでうまくいったからと言って、現代の若者にそれを強いるのは酷であるのと同時に、
また別の見方をすればその人自身が大した成功をおさめていないともいえるような気がします。
たとえばカズオイシグロが
若い人になにか厳しめのアドバイスをおくるとは考えにくい。
あそこまで成功した人、つまり真の成功者は他人にそんなに口出ししないものなのです。
そういう意味で、僕はそれらのアンチテーゼとして
ふざけまくっている人とか
なんにも成功せずにぶらぶらしている人とかを大事にしようと思う気持ちはなくならないですね。
結構適当なことをいうものですよ、
文化人とかそういう人なんて。
彼らはいったん文化人になったのなら、こっちを向かないでノーベル賞でも目指したらどうですか、と問いたいですね。
僕はいったん何かに成功して
急にいっぱんの人の方へ振り返ってものをいいはじめる人を信用していません。
背中をみて育つなんていいますが、
まさにそのとおりであって、
このよでもっとも嫌悪すべき人間は、
説教をたれるろうじんです。
ポイントは二つあります。
もがいている若者は自分で向上に気づかないと真の向上はない。
それと結局、なにかで成功した人もさみしいから後ろを振り返る。
でもその姿が、やっぱりみている方からすればさみしいんですよね。