がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

なんら苦痛を伴わない仕事は本当の仕事ではない。

僕はすごいズボラな人間なところがありまして。

 

まあ統合失調症陰性症状もあるのでしょうけれど楽をしたいというのが効率的という発想になって差し迫った用事でもないとゴロゴロしている時間が長いんですね。

 

で僕は会社を非正規含め10社くらいは経験しているんですが、

 

そのうち十年間は時給制の仕事でした。

 

つまり裁量労働っていうのを十年していないわけです。

 

最近、ある新聞社のレポーターの仕事をはじめたのですが、外部委託契約というもので要はひと記事いくらいくらというような形態の仕事です。

 

で、はじめてみていろいろ取材のアポイントメントをとったり、編集長の人と連絡で電話したり、あれこれ記事のネタ考えたりするのって、時間制の労働ではないんですよ。

 

だから今まさに多くの成功者がいうような遊ぶように働くというのの入り口に立ったような気がするのですが、

 

なにぶん刑期が長かった釈放された犯罪者みたいに時間制労働のときの仕事の仕方みたいなものが染み付いてしまっているんですね。常に体を動かしていないといけない、みたいな。清掃の仕事や介護の仕事のときなど少しでも休んでいると怒られたものです。

 

これは若干弊害かなあと思います。つまり裁量がない労働の弊害です。

 

でもっと話をすすめると、

 

特に特別な才能のない僕のような人にとって、かんたんにできる仕事っていうのは本当の仕事ではないんです。自分には簡単で他人には難しいという類の労働の場合でも同じです。

 

その場合は難しいと感じている労働者にとっては本当の仕事でかんたんだと思ってやっている人は他にもっと人生かけて取り組める対象の仕事があるものなのです。

 

こういうことを34になって学んだんですね。

 

このブログも向上がテーマでもあるわけですから、

特殊な才能、たとえばコッポラ、あの地獄の黙示録で有名な映画監督ですが、

 

村上龍がコッポラと会ったときに、

 

コッポラは映画監督なんて世界一簡単な仕事、と言っていたそうです。

 

それはこの場合例外です。

 

そうではなくかんたんにできてしまうもの、つまり創意工夫がなく情熱もなく完成してしまってお金になっても、人間性は向上しない。

 

たとえると東大目指している高3の高校生が公立の中学の問題に取り組んで解けて満足を得ているものなのです。

 

そういう意味で、僕は毎日、戦々恐々としています。

 

クオリティなどを仕事を通して磨くのは、統合失調症である僕が能力を示すために課せられた使命のようなものと考えるときがあります。

 

かつて作家の三島由紀夫は、「私は安心している人間が嫌いなので」と東大全共闘との対話のなかで言っています。