村上龍が言っていたのですが、外見で貧乏かどうかは判断できない。
現代ってお金持ちでも穴の空いたジーンズをファッションではきますよね。
ユニクロは最近ブランド化していますが
基本的に低価格で質のいいユニクロとかの服を着ていたら、少なくとも外見では貧乏とはわかりづらいようになっています。
それと同じような考え方で
貧乏人の典型というのはどんなにたくさん貧乏人を見てきた人でもわかりづらいんじゃないかと思うところがあります。
漫画ナニワ金融道には、
一文無しから這い上がろうとする人間の描写が多いのですが、
あれって現代にはそぐわないものなのです。
あそこで描かれていてなおかつマルクス主義者である青木雄二としては
そう描きたかった貧乏の典型、
あれはひとつにはデジタルツールが何もないという状況だからそうなっていると捉えることができます。
お金を節約をする発想にしても、
現代は千差万別なほうほうがあります。
僕は生活保護を受給しているのですが、
スマートフォンは持てるのです。
スマホがあったらとりあえず情報が入りますよね。
ナニワ金融道ではスマホで何かして得た情報を地の生活に生かすシーンというのはありません。
なぜかお金がなくなった人たちは、仕事がないのに、切羽詰まったような生き方をしているのですが、
あれって僕には現実味がわかないんですよね。
自己破産だって生活保護だってあるのに寝る暇惜しんで借金返済をする、というのがピンとこないのです。
ナニワ金融道が描かれたのは今の今である現代ではないのでたとえばビットコインなんてないですよね。
ナニワ金融道に出てくる貧乏人はなぜかみんな投資好きで、先物取引とかたくさん出てくるんですが、
その例で言ったら、必ず彼らはビットコインなんかこれだけ話題になっているので手を出すはずだと思うんです。
そしてご存知、初期にビットコインに手を出していた人間は現在、大儲けです。
何が言いたいのかというとナニワ金融道は面白い漫画ではあるけれど、現代ならではという要素が今にして思うとかけています。その分、振り返って読もうとは思わないのですよね。
同じことはあの漫画を抜きにした他の貧乏人にも言えますが、貧乏だからと言って百均にばかり行っていてはおそらく新しい情報は入ってこないだろうし、金持ちにしても上質なものばかりをそろえているという人はまれでしょう。
結局、お金って何なのかという現代性を加味した本質を描いたコンテンツだけが普遍的なのかもしれませんね。