がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

いいニュースと悪いニュースがある。を悲観的にみない方法。

村上春樹の確か多崎つくると〜の著作の中に出てくるせりふなんですが、

 

いいニュースと悪いニュースがある。

 

これはこんなふうにたとえられるでしょう。

 

たとえばあの電通によって過労死させられた高橋まつりさん。

 

彼女は話を追えば追うほど、生前、落ちどがない人物だったと想像できます。

 

東大に入るくらいの努力さがあり、電通に入るだけの美貌もあり、

 

母親を慕う優しさがあった。

 

それで若くして自殺。

 

おそらく自殺する前は

 

いいニュースと悪いニュースの、

 

いいニュースしか彼女のまわりの人たちは感じていなかったんじゃないだろうか。

 

村上春樹が問うているのは、

 

努力家?努力だけではわからない世界もある。努力しない人たちがなにか建設的な発展的な画期的なものを生み出すこともある。

 

美人?美人ゆえ色恋沙汰にさまざま巻き込まれて本人が幸せを感じないかもしれない可能性はある。

 

優しい?優しくてもね、お金にならなかったりするのが世の常ですよ、優しくてもね、それだけじゃ世を渡っていけないこともたくさんあります。

 

とこんなふうにいい点と悪い点を、

 

全ての物事に対してみているんですね。

 

これは悲観的な人だとこうなります。

 

というか僕がずっとそうでした。

 

これは僕のケースではないのですが、

 

たとえばずっと愛人にしたいと思っていた女性を見事手中におさめたとします。

 

そこまではふつうの場合いいニュースです。

 

僕はもし自分が愛人がほしいと思ってそれが手に入ったとき、まずこんなことを考えます。

 

愛人が手に入ったとしても妻子にばれて恨まれるかもしれない。妻子の性格にもよるが下手したら殺されるかもしれない。

 

だから愛人が欲しいという願望が現実になったというのは決していいニュースではないのだ。と。

 

しかし愛人がほしいという願望は打ち消しがたかった。それゆえ、一概に全部が悪いと言えるものでもない。愛人ができたことで仕事も順調に進むことがあるかもしれない。それで得たお金で何かしら人生が好転するかもしれない。いつか愛人とは手を切って妻子のためになることを思いついて実行するかもしれない。

 

この視点、つまりちょっと愛人の例はあまりうまくないですけど、

 

要はどっちに結果が転んでもいい面がある、というのと村上春樹のそのせりふは同義なんですよ。

 

結果がどっちに転んでも自分が得するような広い目を持つ生き方。

 

これを延々続けていくのが、最終的に人生の成功者なのでは、と考えます。