がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

人に会うよりも人を想像する方が楽しかったりする。

今日、忘年会が、学生時代の友達との忘年会があったのですが、生活保護だと行けないですね。お金的に。

 

しょうがないので実家によってご飯食べてしばらく悶々として、ああ、生活保護か、情けないな、忘年会にも行けないのか、と

 

くらい気持ちでいっぱいだったんですが、

 

今日、忘年会で会うはずの予定のひとたちを想像したり、またくらい気持ちのときにあれこれ空想めぐらすのってそんなに虚しい時間でもないと思うんですよ。

 

神様は人間に動物の要素を残したことで、醜い争いは絶えませんが、

 

一方、想像する能力を与えているんですね。

 

僕は神様というのは人間を試しているんじゃないかとたまに思うわけです。

 

いろいろ欲があるようにつくったけど、

 

頭を使う能力も動物より強くつくった。

 

それをさあ活かせるかな、みたいに高いところから眺めてみているんじゃないかという気がしてしまいます。

 

僕がネット時代に生まれて良かったと思うのは、

 

この空想力というか想像力は、ネットで鍛えられるんです。

 

よくネットはダメだというひとがいますが、

 

それはネットを補助的にふだん使う人、つまり強い人であるからで、

 

僕みたいにネットを生命線、特に文章とかなにかを表現するときにsnsだったりブログだったりにのせることが習慣になっていて、ふだんほとんど人に会わないとなると、

 

 

非常にあれこれ感覚が敏感になるんですね。

 

それはつまり、実際に人に会ったときに感じた快感より強く出るものなのです。

 

僕は人の本質は会話にはない、と思っています。つまり話す言葉にはそんなに信憑性がなかったりする。行動には信憑性がありますが、それよりも作品だったり書き言葉の方に、なんていうか交わりを感じたりするんですね。

 

というのも言葉とかそういう会って話すことは実は今の時代ってセックス以外には必要がない時代に生きているわけです。

 

極論するとぜんぶラインでいいわけです。

 

でもそういう時代の中だからこそ、誰かに会うことを想像するときには、

 

幸せに近い心理状態がある。

 

そういう場合は実際に会うとそれほど幸せを感じなかったりする。

 

なんでかな、とおもうんですが、

 

僕の場合、人と会うとなんとなく会話を合わせてしまうんですよね、

 

場の空気とかそういうのに。

 

であとから一人になっていろいろ思うタイプなので、

 

それだったらはじめから空想にはじまり空想に終わる時間であっても虚しすぎるってこともなかったりする。

 

こういうのってあのガロ漫画の、つげ義春がうまく描いていますよ。

 

僕はつげ漫画では、競馬場で入場券のもぎりの仕事をしている妻が、夫がきたときにチケットを渡して返すという物理的な所作のなかに愛を感じるみたいなのが、あるんですが、あれが一番好きです。