がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

僕にとって質素な生活を手に入れるのは純粋な喜びだった。

これですよ。

 

今まさに質素すぎる、そしてシンプルすぎる生活を送っていて、快感がすごい。

 

いつか全てはバブル、みたいな記事をかきましたが、

 

食べ物にしたって料理ってあるじゃないですか。

 

あれ創意工夫があって実に文化的なものなのですが、

 

ミシュランにのってるご飯とかって

一生に一度でいいような気もするんです。

 

でそんなのありきたりすぎる意見だという人もいると思うんですが、

 

みんな社会性のためにネタづくりをして生きている生き物なんですね、現代日本人は。すごい料理を食べた!がネタになる。

 

酒もタバコもやらないつまらない人間になっていた、みたいなのも、

 

ダイエットでもやししか食べない男になってかわいそうに思うのも、

 

旅行に行くお金もなくて世界が広がらなくてじかんの無駄だと思うのも全部、

 

バブルがなせるわざ、つまり余剰なものなんですよ。

 

大多数の人の価値観に添えないことは、

 

やっぱりさみしい思いはあるでしょうが、

 

さみしさを抱えないと向上とか発見ってないものなんです。

 

かつて偉大だと言われている文化的功労者は決してリア充な生活なんか送っていなかったでしょう。

 

別に文化功労者にならなくても、

 

そういう生活を送ると、

 

端的にお金、家計的なところでひとりだけ物価が違う国に住んでいるようになりますね。

 

で、この状態を貧しいきついと思っている人は絶対的にマイノリティにはなれないんです。マイノリティの幸せを味わえない人なんです。

 

このあたりが非常に僕はマジョリティと価値観が違うなあって思ったりする。

 

質素な生活はそれ自体が喜びだったりする。

 

ほんとうにそう思います。

 

よく田舎は空気がおいしいね、みたいなのありますが、

 

ああいう感覚ですよ。

 

ふつうに水道水とか飲んでもおいしいですよ。

 

僕はそんなひとりだけ物価が違う国で質素さに喜びを感じてばかりいると何かが劣ってくるとずっと思っていたんですが、

 

そういう生活を送るときに必要なものってマジョリティから脱落する勇気だったり覚悟だけなんですね。

 

それだけが大敵で、

 

あとはなんら人間として失うものなんてなかったりするんです。むしろ健康にもいいかもしれないし、もっと発想がクリエイティブになるかもしれない。

 

そういうことを知った今、もうちょっとだけこういう生活を送りたいと思っている自分もいますが、

 

また仕事や街の雑踏に紛れる慌ただしい日々がきても、今のこのほんとうに清んだ生活はなるべく維持したいと思っています。

マックとか吉野家が、ミシュランみたいな存在になったりしますよ、もやしとか豆腐とかばかり食べていると(笑)