がんばれないひと。

統合失調症歴10年。35歳男の雑記です。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

実利を重んじるサイコパスが最強な理由。

世の中、かっこいいことであふれていますよね。

 

ドラマによくあるようなことが現実に起きていますね。

 

佐藤優はテレビドラマは現代の風習が反映されていてみる価値があると述べていましたが、

 

そのとおりだと思いますよ。

 

ただ愚民が多いんでね。

 

ドラマって主人公が何か葛藤を抱えているじゃないですか。

 

それで喧嘩したり殴り合いになったり口論したりとまあエンタメなので美男美女がそういうことをやると絵になるわけです。

 

愚民はそこにばかり気を取られるから現実の社会にもそれを適応しようとする人が出てきて、おれわたしかっこいいとなるわけなんですが、テレビ局も馬鹿だと思いますよ。

 

お前らが稼いでいる視聴率は結局ミーハーな愚民のミーハーな美意識を刺激するだけで

 

佐藤優的な見方をして国民が賢くなるようなふうに動いているかは意識していないことがおおいからです。

 

僕はテレビドラマをみないんですが、

 

一つにはあの構図が嫌なんです。

 

主人公とか登場人物の性格とか思惑ってあるじゃないですか。

 

堀江貴文が言っていたんですけど、人間って毎日細胞が新しく入れ替わっているんです。それは誰もが知っていると思うんですが、結構な量が入れ替わっているみたいなんですよね。

 

なにが言いたいかというと毎日、新しい違う発想の人間になっているかを自覚しているかしていないかで世の中の見方が変わります。

 

発想力や創造力が豊富なひとってそんなに一つのことに執着しないんですよ。

 

昨日はこういうふうに思っていたけど今日は違うことを思った。それには昨日えた知識でこれこれこういう利点があると知ったから、今日はまた自分は新しい自分として1日を迎える。

 

みたいなふうだと思うんです。

 

昨日あのひとはあんなことを言っていてそれにわたしは傷ついてそれに対する行動としてとったものがあるみたいなのってドラマとしてはストーリーができていいんですが、僕には現実味を帯びないんですね。

 

だって昨日みたある人への見方って今日は変わる可能性があるから。

 

そういうのが創造性だと思います。

 

サリンジャーっていましたよね、ライ麦畑の。

 

あの小説にフィービーっていうホールデンの妹が出てくるんですが、

 

ホールデンはフィービーに対してこんな推察をします。

 

最初に怒っている態度をみせたからそれがあたかも今でもそう思っているようにみせなければいけないような態度をしているようにみえた、と。

 

ご存知フィービーはサリンジャーの想像豊かな人間性が生み出した物語中の重要なキャラクターです。

 

そういう人は、いちいち一つのだれかに対する感情なんてずっと永続してもっているわけではないんですよね。

 

サリンジャーはそこに美を見出しています。

 

僕はテレビドラマの主人公ってみんな馬鹿だと思っていますよ。

 

それに呼応する視聴者も馬鹿です。

 

サリンジャーや堀江貴文の見方をまったく気にしないのであれば正確にいうと極めて鈍感といえましょう。

 

で、話が冒頭に戻るんですが、国民はミーハーなので実利ってものを計算しないひとが多いんです。

 

実は実利を重んじるサイコパスって一種のリバタリアンの中でももっとも賢い選択のうちのひとつなのです。

 

ことわりをいれると僕は「よくできた」実利を重んじるサイコパスではありません。

 

なぜならこうしてそのからくりを言葉にして表現してしまっているからです。

 

みなさんはほんとうに自由なひと、つまり究極のリバタリアンっていうのを想像したことがありますか?究極のリバタリアンつまり自由なひとってウィトゲンシュタインの思想を重んじるひとなんですよ。

 

ウィトゲンシュタインは言語の限界を示した哲学で知られるんですが、あの、語りえぬものについては沈黙しなければならない、という言葉は有名ですよね。

 

要は実利を重んじるサイコパスつまり究極のリバタリアンって愚民を餌に生きているタイプの人間です。

 

つまりいつなんどきでもあのドラマにあるようなかっこいいシーンとは無縁なんです。

 

たとえばちょっと話を単純化すると

 

怖そうなひとから夜道でからまれたとしますよね。

 

となりに彼女がいるとします。

 

そこで実利を重んじるサイコパスは

平謝りをするタイプです。彼女の前でカッコ悪くてもです。とりあえず暴力をうけるのもするのも避けようとします。それが実利だからです。平和という思想につながる行為は実利なんです。

どんなに社会的立場があってそういうどうりがわかるひとでも理不尽なことをされたらなんか抵抗すると思いませんか。

 

ここが馬鹿な人間の発想です。とりあえずその場の暴力、つまり悪の被害をさけ、その後にモラルのあるひとであれば報復を考えます。

 

社会的制裁という報復を考えます。

相手の車のナンバーを覚えて警察に通報するとかですね。

 

これは単純化した例ですが、もっと規模が大きいところの話でもこの手のタイプのサイコパスはのうのうと生きていっています。

 

で、ここがポイントなんですがおうおうにしてそういうたいぷの人間は、愚民から蔑まれたりしている場合が多いのです。

 

それでも蔑まれていてもほんとうに私生活に幸せがあるひとっているんですよ。

 

このあたりの真理はドラマに出てくるような人間模様だけ追っていては把握認知することができない。