がんばれないひと。

統合失調症歴10年。34歳男の雑記です。3年後までに文筆で成功し、犬とともにアメリカ移住を目標にしています。地元のフリーペーパーの記者をやっています。

成功の秘訣は己の欲望を抑えるところからしか生まれない。

よく掛け軸みたいなのに、経営者が、「努力」とか「精進」とか「謙虚」とか座右の銘みたいに掲げているものがありますが、

 

僕は成功の秘訣は忍耐力、つまり欲望を抑えるところからしか生まれないんじゃないかと思っています。ここであえて凡人と天才という言葉を使いますが、

 

天才はいいんです。天才って何が天才かというと「すでにはじめから欲望がマイノリティであること」の天才なんですね。

 

この分析は特に日本人の若年層に顕著です。

 

というのはたとえばテレビ。あそこに映し出されている価値観とか情報をおおむね肯定する生き方って楽なんですよ。なんでかというと多くの人と価値観があって、それはつまり友達とか知人の共感を得られるライフスタイルが確立されるのですから。

 

それは繰り返しますが楽なのです。

 

みんながつらいと思う出来事に同情できるし、逆に自分が苦しいと思った物事に直面したときに多くの賛同を得られる。ビジネスにしても、それいいね!みたいに多くの人に応援してもらえる。それは何が為せる技なのかというとマジョリティ集団に属しているからなのです。

 

ところが多くの偉人は、マジョリティの集団に疑問を多々抱いています。

 

なぜそうなのかというともちろん先に述べた天才であるから、というタイプもいるでしょう。

 

でもそうではないタイプの凡人は、あらゆる欲を抑えているのです。

 

たとえば受験勉強。凡人はふつう高校生の多感なじきに勉強をしたいとは思いません。

 

本当であれば彼女や彼氏がほしいわけですし、思いっきり青春したいわけなんです。

 

でも受験に受かるタイプの生徒はおおむね、それらの欲を抑えて勉強をするから学歴という面ではエリートになれるわけです。

 

最初凡人だったけどだんだん嗜好が天才になる、というのを目指すしかこのあとのこのタイプの凡人には向上の道はないわけなんです。

 

そしてひとたび学歴の輪を飛び出し社会人になると今度は何の我慢をすればいいかというとお金の使い道の我慢です。

 

すでに凡人を脱して天才タイプのお金の使い方ができている人は問題ないでしょうが、

 

多くの若年層社会人は、あれこれ煩悩に絡めとられた欲にお金を使います。

 

一番シンプルなのはまず彼女をつくり、結婚し、そして子供がうまれ、その後家族のために旅行とか行くパターンじゃないでしょうか。

 

このときすでにお気づきかと思うのですが、このステップでは偉人にはなれないのです。

 

なぜかというとほとんどの持てる労力を、家族、つまり自分のマジョリティが共感できるなかでの幸福にしか使っていないわけですから。

 

なにが言いたいかというと僕はその道は歩めなかったし、歩もうとも思わないという点です。

 

結果、何が残るかというと、そうかといって偉人になれる保証もありません。

 

ただ「可能性」だけは残るんです。

 

もし子供の教育費が足りず、妻とは折り合いが悪く、頭のなかが仕事のことしかないというタイプの凡人幸福ロードを歩んだゆえの不幸に遭遇したら、それをまた回復するところに労力をかけなければいけない宿命があります。

 

そうではない妻子を捨てて、文人の道を選んだ、たとえば金子光春なんていう詩人もいますが、そういうタイプの人間は遅咲きの凡人から偉人ステップを歩んだ人で、それはかなりレアなケースなのです。

 

ふつうの人と同じくらいの欲があるのに、それを抑えることによって、人とは違うニッチさの嗜好が生まれます。

 

僕はそれを大事にしたいとおもうわけなんです。

 

たとえ自分が偉人になれなくても、少なくともどういうところが偉人なのか偉人への評価軸を持つことができますからね。

 

この評価軸は別に偉人に対してだけではなく、日常的に誰かに対して感じる感性でもあります。

 

その感性を大事にするには、異性関係や金銭欲や家庭内幸福などにとらわれていると見えてこないものなのです。

 

映画や小説や音楽にたくさん優れたものがあっても、

 

これだけ上述したマジョリティの幸福におかされている日本はいまだにくだらない三面記事の事件や、企業の不祥事や、政治家の汚職がたえません。

 

そしてこれらは一生なくならないわけなのですから、自分とは縁のないようにして過ごしたいものですよね。