がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

がんばれない理由。

天国があるかないかというよりそれを信じるか否かの議論は意味をなさない。

なぜなら人間である以上、天国や地獄を想像できてしまうのでやはりそれはあるのだ。

ここでそれはないと否定しても、否定する対象を認識している限りにおいてやはり天国はあることになってしまい、ないと言い切れるのは言葉を持たない人間とおもわれがちだが、想像のなかで言葉を使って天国の概念はあるのかもしれないと言葉を持たない人間以外の人間がまた想像をする。議論は平行線になる。僕が昔から思っていたことのうちのひとつにアリにも何か高度な知能があるかどうかは人間にはわからないのではないか、がある。

アリに人間がわからなくて人間にはアリがわかるという図は科学であるが、

そもそもアリには耳がなく、あの足が実は天国という意味でついている可能性がアリ同士のなかではあるのかもしれないが、それは人間にはわからないのだ。

アリの足が天国に代替するものであったら人間にふんずけられるのはアリにとって本望なのかもしれない。          

人間は価値を見出だそうとするが、価値の価値を決めるのはアリのこともわからない、ただ人間であるだけで人間のように振る舞っているような、人間なので、価値もあてにならないだろう。

そうだとすると多様性が広まる。神様は多様性をわからせるために人間を作ったとしか考えられない。 

人間は赤ちゃんがおじいちゃんになるように最初が0で最後も0なのである。

とすると人間が知能を使って生きるとイコールなのは、長く生きれば生きるほど不思議や混沌が広まるばかりということの認識にある。

つまり成長とは永遠にある謎解きのための、それまでの知識じゃ網羅できない新たな知識を得て、それをもってまた新たな知識を得る作業の繰返しなのである。

それは未来永劫続くので、やはり休んだ方がいいのである。

がんばれないひとにはそういった理由がある。