がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

正気を見つめる文章。

最近、いつもこういうことを考えているのだけど、

 

人生を苦難なくすすむ道には、おおぜいの価値観から一歩それるという手がある。

 

ちょっとコツがあって、

 

なるべく一人でいる時間をつくるという手だ。

 

これにはもちろんつとめにんの場合、

 

いただいた、あるいは人件費を削られて否応なく休みの場合を好機ととらえるだけの前向きさがいる。

 

休みはチャンスなのだ。

 

僕は仕事に行く日は仕事が終わったあと服を買ったり、ジャンクフードを食べたり、風俗に行ったりと、何かとお金を使ってしまうせいかくである。

 

休みの日はストレス発散の名のもとの消費がない。

 

純粋に必要なものだけ買える。

 

そうすると稼いだ日はそれそうおうだし、

休みの日もそれそうおうなのである。

 

出費が。

 

そういうじったいがあると、

 

シームレスな出勤がとだえる日は、

 

人がおおくとる行動にそう必要がない。

 

仕事の日は、仕事前にごはん食べなきゃもたないとかあるけれど、休みの日は

 

いつどれだけの量、多くても少なくても

 

自由なのだ。

 

で、まわりみちしたが、自由さは、

 

たとえるなら、友達のわから外れて、

 

自由行動していいと言われた集団行動に似ている。集団でいると、

 

好きなものを好きなときに好きなだけ、

 

というのができない。

 

漫画家の蛭子能収がテレビでうけるのは、

 

自由がわがままにみえるのだが、

 

みてる方が快感だからである。

 

人は度をこして、自由行動をとる

 

憎めない人間をみたときにうらやましさと

 

同時に好感をもつのである。

 

そしてタイトルにあげたとおり、

 

自由がすぎて狂うの防止のためには

 

文章であり、言葉で内面をみつめることである。

 

行動が奇抜にみえても、

 

自分の中で、理由を言語化できる不安のない外れた行動ができるものなのである。