がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

デジャブの恐怖。

昨日、いつものように働いていたら、それも一生懸命働いていたら、急に視界にデジャブ感が襲ってきました。

 

あれこの風景をみて、「あのときも同じ風景をみてあれこの風景は確かに前にも」と思った瞬間があって、

 

僕はさっとほかの作業に集中して頭を切り替えたのですが、あのままデジャブ感の光景を食い入るように見入ってしまったらどうなるんだろうとか後になって考えてしまいます。

 

あれは僕の中で幽体離脱と同じ構造なんですよね。

 

幽体離脱というのは金縛りがおこったあとやってきます。

 

金縛りはなんとか自分でほどけることもありますが、幽体離脱ユングフロイトをもちだすまでもなく行動の源が性欲なので(専門書にはリビドーとか書いてあります)、

なかなか強い呪縛感なのです。

 

ほら性欲って一回考え出したらとまらなくなるときあるじゃないですか。

 

それは大人であってもいっしょのような気がします。痴漢ニュースはあとを絶ちませんし、すべての人間社会の諸問題は性欲が直接的にではないけれど、影響を及ぼしているのではないか、とか考えてしまいます。

 

で、話が戻るんですが、

 

幽体離脱もそうなのですが、あれは意識があるなかでの出来事なのでほんとうに怖いんです。自然と振りほどきたくなるんです。

 

意識がすっと動いてたとえばベランダにまで行ったとします。

 

そうするとその瞬間、飛び降りるか飛び降りないかの判断が自分にまかせられているのです。

 

そこで開放感にまかせてえいやっとベランダからたとえ肉体はともなっていなくてもやったとしたら、どうなるんでしょうか。

 

実はそれを実験した人はこの世の中にまだ一人もいないのです。

 

立花隆が著書で『臨死体験』という本を発表しています。

 

これは三途の川をみてきたという瀕死の人間の古今東西とわずあらわれる共同幻想がある実態を、身をもってリサーチしたもので、立花隆自身、具体的にどうやって環境を構築したかは僕はしっかり覚えていないのですが、

 

とにかく瀕死の状態と同じような脳の構造をつくって実験してみたという本です。

 

でも結論からいうと立花隆はそういった魂みたいなものが存在しないという証明もできなかったわけです。なので結局、科学にもわからない、とにかく脳の構造はまだまだぜんぜんわからないと述べるにすぎない結論だった。

 

僕はオカルトを信じているわけではないのですが、デジャブのさなかにその光景を凝視する、あるいは幽体離脱中に怖い行動を思い切ってしてみる、というところに別世界があるのではと考えているところがあります。

 

でもこれは別に変な話じゃなくて人間そういうなんだかよく自分でも説明できないけれど感じたりやってしまったり信じたりするところは必要な気がします。社会は理性で成り立っているので、寝る瞬間とかデジャブ感のときにはそれがうまい具合に外れるぐらいで人間バランスがとれているのでしょう。

 

前のどこかで書いた内田樹がUFOを信じているなんていうのもそういういわば人間のバッファ(余白や余分なゆとり、余裕)を生きていくうえでもたせているというひとつの合理なのです。

 

人間は一人残らず、みんながみんなどこかおかしなところがあります。