がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

何かを捨てるのは快感だ。

ちょうどガラケーにしたこともあり、gmailのアカウントをこの機に削除しました。

 

僕は定期的に何かをそうやって捨てるのが快感です。

 

特に長年使っていたものを捨てる瞬間は、本当に必要ないと判断できたとき、脳内で変な物質が出ているのでしょう。

 

でもなんでそういう行為に快感が伴うかというと、「これからライフスタイルが変わるかもしれない」という展望があるからです。

 

ライフスタイルの変化について考えるのは僕は楽しいと思うタイプです。

 

これにはいろいろな理由があるのですが、僕は昔は変化を好まない人間でした。

 

ルーティンワークの方が楽だしとかこのブログの最初の方にも書きましたがずっと同じ服着ているのはかっこいいしとかとにかく一つのものに愛着を湧かせるというのが苦手になってきました。

 

で、先に言いたいことを全部書くと、そうやって無駄なものをとっぱらって最後に残るものがほんとうに必要かつ愛着が湧いたものなのかなと。

 

かえがきかないというか。

 

だから離婚って、僕は離婚する人のみんながみんなそうだとは思わないんですが、欲望がつっぱしているような気がします。

 

よく感情的な人間は醜い、そのためのコントロール術みたいな本がありますが、離婚は感情を表に出さなくとも、行動で出している醜いといえば醜い行為です。

 

なんかしらの自己主張を感じますからね。

 

幸せ求めすぎているみたいな。

 

まあそれはおいておいても、僕にとって最後に残るのが犬だったら、なんとなく人生勝ったという気がしないでもありません。

 

人生というのは自分で価値をみつけたりすてたりの繰り返しで判断されるわけですから、僕のなかでそこの価値は結構大きいのでそのとき財産失おうとなにしてようととにかく犬と無事、この世を生還できたときに、だれから言われるでもない、自分で自分に勝ったぞ、と言ってやりたいわけなんです。

 

思えば、芥川賞をとった『コンビニ人間』の評論で、こんな趣旨の文章がありました。

 

「人には誰にたくすわけでもない自分で試みた勝負に、勝った負けたという戦いを挑んで、実はその戦いがはたからみてどんなに無意味だったりむなしかったりするものであっても、人にはそういう側面がある。つまり目標を立ててそれに打ち勝つことに生きている価値がある。そういった勝負の構図を自分でつくりだして戦うさなかに真の創造性があって、このコンビニ人間はプロットづくりからはじめておわりまで物語をとちゅうこけることなく書き上げ、まさにその勝負に見事に勝ったわけだ」

 

そうなんです。なんでもいいんです、人間なんて。

 

目標があると張り合いできるじゃないですか。

 

そして目標に向かっていった結果も、自分で結果の価値を判断する。

 

そういうことが客観的にみてずれているとか共感性がまったくないとか思われずに達成できたら、それだけでもう大したものだと思っています。