読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

映画『海の上のピアニスト』にみる、隣の芝生は青くみえる論。

僕はずっとタイトルにあげた映画の世界観が好きだったんです。

 

豪華客船のなかで社交場のピアニストとして育つ主人公。

 

彼はピアノしかしらない。というか船の中しかしらない。

 

だから人生の最後にはじめて恋心を知っても、恋よりも自分の”属する”船のなかですごすことを決意する。

 

この映画の、その一瞬あらわれる女性、主人公が恋心をはじめてもった女性の描かれ方は正直すごく上手です。

 

表情とか目の感じとか、この女性もはかない気持ちを抱いているんだなあというのが伝わってきます。

 

でも僕は最近この映画に惹かれなくなったんです。

 

なんでかなと思うのですが人間の環境に注目して最近日々生きているので、もしこの主人公が鬱屈とした閉塞感のある国と場所に生まれたら、そんなふうには決して思わないものというのに気づくからです。

 

当然のものとして初恋の成就のうれしさに喜びを置くのが人間でそうではない場合にこういった映画の世界が成り立つのはふつうじゃないからなのは当たり前のことなのですが、育った環境は大きく人に影響を及ぼします。

 

僕が大学生だったころ、教授に、「でも人は環境によって影響される部分は大きいわけですから僕がそんなに勉強熱心ではないのも、ゆとりなので仕方がない面もあるのではないかと」

 

みたいなちゃらちゃらした発言をしたら「環境、環境などというけれど人間それだけではありませんよ」と。

 

でもこういう考え方はどちらかというと厳しい考え方だと思っていて、

 

それだと真実がみえてこない面はある、と僕は当時教授になんと言われようとうすうす思っていたものです。

 

というのは今でいうところのISのテロリストっているじゃないですか。

 

あの戦闘員たちを、「どんなに自分の居場所の環境が悪くても、人道的に正しい道を歩む立派な人間もいる」と正論を言ったところでは、もう分析はおしまいなんです。

 

それよりも「いったい詳細として彼らはどういう生活を送っていてどういう不満があってその不満を解消すべき方法はほんとうに社会的にないのだろうか」と

 

まず同情の部分から分析をしていかないと現実に役立つものにはならない。

 

そういったものを考えていますと、

 

上にあげた映画の世界観の成功も、あるいはその映画をけなす批評もどっちも存在として論が立たないということはありえなくて、

 

どっちかの世界にいたら他方の価値観はすぐれてみえるし、またその逆はその逆なんです。

 

で、さらに論をすすめると大多数の人の価値観でない方に美徳が置かれる傾向にあるのも人間の性なのですが、

 

その美徳を感じるためには大多数の価値観を知らなければならない。

 

そのためには俗を知らなければならない。

 

上にあげた映画をみて、「きどりやがって」みたいに思う人を、たとえばその映画が好きな人は、けなせないはずなのです。

 

そういう一般的な人間らしい価値観によってしか映画の成功も、ひいては芸術の成功もない。

 

僕はそういうのを知ると、主義主張というのは全部ポジショントークでしかありえないのではないかと考えてしまいます。

 

人間はおかれた環境が違えば、たとえ同じ人間であっても、俗に染まったり、あるいは映画の主人公みたいに華麗になったりする。

 

多くの人は(昔の僕も含めて)、感動的な映画だった、という感想しか持たず、上述したようなことまでは考えたりしないものなのですが、考え抜くとそういった話になります。