がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

武蔵野線の恋。

昨日、仕事帰りに、武蔵野線に乗っていたのですが、もう夜も遅い11時前後の時間帯にあるカップルが乗ってきました。

 

僕は武蔵野線に乗る度に、汚い電車だな、と思います。

 

東京競馬場へ直結する電車だから土日は薄汚れたジャンパーを着たおじさんたちが競馬新聞片手に乗り込んできます。

 

もちろん朝はまだしも夜の時間帯の車内は、まず大体ひとつの車両に一本はビールか酎ハイの缶が転がっていて、たいがいそうやって転がっている缶にはまだ少し液体が入っていてそれが電車が一駅ごとに速度の上げ下げを繰り返すうちにたらんと流れるわけなのです。

 

そしてこれもまたお決まりのパターンなのですが流れてきた液体には気づかないだらしのない恰好で寝落ちしているおじさんがその液体の前にふんぞり返っていたりします。

 

昨日もちょうどその例にもれず、同じような状態の車内でした。

 

僕がおもむろに携帯のワンセグをみようと思ってポケットから携帯を取り出したときにまず女の人が目の前を通り過ぎました。

 

女の人はすとんと三つくらい離れた右隣に座るとちょうどそこに背の高い男の人も隣に座りました。この背の高い男の人が女の人と同時に車内に入り込んできたことに僕はワンセグをみようとしていたので気づかなかったのです。

 

二人は二駅しか乗っていませんでしたが、男の人の方の顔は特段ハンサムというわけではなかったのです。そして女の人の方の顔は長い前髪でよく見えませんでした。

 

僕はそのままワンセグを見続けていたらよかったものの、なぜかそのときはその”二人の容姿に至らない点があるところ”が、僕をひきつけました。

 

なにしろ、乗っている電車が武蔵野線です。この電車に美男美女すぎるカップルは似合いません。それでも女の人はきゃしゃでよくみると鼻が高かったし、男の人はすっきりとしたスーツ姿でそれ相応に見栄えするものがありました。

 

二人は小声で会話し、男の人が女の人の頭を撫でて、やがて駅に着くとじゃあまたと言って男の人が去っていきました。

 

もう一つのポイントはこの二人がどうしたってもうそこまで若くないという事実がますます僕をひきつけました。

 

僕にはわかることがあります。それはまだ若い二人の場合、どちらかがなんらかのその一緒にいる相手以外のことをずっと考えてしまうかもしれない未来の可能性を。

 

その可能性はちょうど武蔵野線のあの夜の光景、車窓からうつりゆく景色に似ているかもしれません。

 

見慣れた人にとってはなんともない風景ですが、僕はまだ武蔵野線に乗り始めて一ヶ月も経っていません。

 

人が多い駅もあれば少ない駅もある。高い都会っぽいビルがみえたと思ったら、いかにも場末な汚らしい看板のあまり流行っていなさそうな美容院が見えたりもします。それらに見慣れていない人が景色を凝視してしまうのと同じように若い男女のカップルにもその相手以外のものを凝視してしまうことは自然なことなのです。

 

男の人は、駅に着いておりてから、もうそんなことをする年齢でもないだろうに、電車が去るまで女の人の方をずっと向いていました。

 

男の人が去ったあとで、すぐに女の人はスマートフォンを取り出し、文字を入力しています。

 

僕には確信があったのです。彼女は間違いなく、あの男の人に「ありがとう」とかそういった類の言葉を送信している、と。その確信は、”何かを疑わなくても済むという安心感に満ちた世界が僕にもある”ことを教えてくれたのです。

 

その後、僕はぼーっと考え事をしながら、あの液体が出ている空き缶を眺めているうちに、気づいたらもう女の人も電車から降りてしまったみたいで、近くにはもうずっと長いこと乗っているふんぞり返ったおじさんしかいません。

 

僕はそのおじさんが数分でしたが僕がみた二人を何も知らずに熟睡しているところをみて、ますます安堵したのでした。そのおじさんには疑わなくてもいい世界とかきっとそういう概念はもうとっくの昔に忘れてしまって、今はもうどんな体勢でも寝れるという無神経さが、なんだかことさら長年生きている証のように思えて、それはそれで楽だな、と思ったものでした。