がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

元名大生のタリウムについて思うこと。

生きているんだから何かインチキしているのに違いない。太宰はこう残して死にました。

 

またサリンジャーは小説の中でホールデンという類まれなる鋭敏なキャラクターを登場させ、書いた本人は家に引きこもりました。

 

カントは毎日、定時になると散歩に出かけ、誰にも性的欲求を抱くことなく、独身のまま論文を完成させ、幸せだったのか不幸せなのかよくわからない、人生これでよし、という言葉を残しています。

 

金子光晴は、妻子を捨ててまで、言語芸術に身をささげ、

 

ヘミングウェイは晩年、体調の悪さから銃で自殺しました。

 

あげたら、キリがないのですが、彼らはみな作品を残してそれが認められています。

 

現代において作品が認められるのは、その不幸性や悲劇性においてではありません。

 

合理的で進歩性があるかというところが大事になってきます。

 

先日、元名大生の無期懲役判決の記事を読みました。

 

彼女はタリウムを購入して手元においておくと”うっとりした”と判決時にこたえています。

 

僕はその記事をみたときに、この女の子は馬鹿だとは思いませんでした。

 

というのも、上にあげたような人たちの誰かが、”作品”の中の主人公として登場させるような人物に思えたからです。

 

殺人にも使えるタリウムに魅了される。

 

ふつうの女の子だったら、新商品の化粧品だったりするところが、タリウムです。

 

そこには悲劇性も不幸性もない、あるのは”特殊”だという感覚です。

 

合理性や進歩性になんら関係しない感覚のことです。

 

僕はその存在が気になります。

 

この世の中は実は、不幸でもなく悲劇でもなく合理的でもなく進歩性もないなにかで

 

溢れているような気がしたからです。

 

それは作品の中にはたくさんあります。

 

小説を読むたびに接する感性の対象は、無数にあります。

 

元名大生のタリウムは、現実のそういった対象として象徴的です。

 

ただ一点、これは相容れない価値観だな、と思ったのは”実際に人を殺してしまった”ところです。

 

あの元名大生のタリウムは、

 

「これを投入すればいつでも快楽殺人ができる」という”期待”のままで放置しておくことに価値があった。少なくとも彼女の場合。

 

これが不確実性を生きる人間の寸止めの感性です。

 

目的がえられないところに美を見出す人間は、尊い

 

そこがきっと若い人間にはわからない。

 

僕は20代はなににおいても、醜い期間だという捉え方をしてしまいます。

 

現代がそんな殺人とか新聞の社会面のところにでかでかと記事がのる事件のほかに考えたり、学ばなければいけないことがたくさんあるからです。

 

 人を殺すならタリウムやおのやそういった凶器ではなく、美しい文章を使った方がフェアですよ。