がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

仕事をしていると怒られることもあれば褒められることもある。

仕事なんてしていなかったら、そんな出来事はありません。

 

僕は昔、こんな話を考えていたことがあります。

 

ここにひとりの孤独な老人がいるとします。

 

老婆だとしましょう。

 

老婆は主人に先立たれ、お金には困らないけれど、生きがいがありません。

 

毎日、寂しい思いをしています。柔和な性格の老婆です。世間が煩わしいとこれまで主人としかほとんど過ごす時間をもたないで、生きてきました。亡くなった主人も温和な人で、これといった浮き沈みがなく、人生をその歳までおくってきました。

 

あるとき、飼っている小犬をいつもの道で散歩させていると、たまたま近所の主婦のグループ数人に遭遇します。

 

あなたが飼っている犬が吠えるのがうるさい、とその中の一人が注意しにきました。

 

老婆はそのとき不覚にもムッと腹が立ちました。それなら、あなたたちのおしゃべりだってマンション内に響いている、と。

 

老婆はそういった気持ちを正直に言いました。

 

老婆が住むマンションのはす向かいの一軒家には同じように犬が好きなおばさんがいます。

 

そのおばさんは、老婆と主婦のグループとのいざこざの一部始終をきいていました。

 

老婆が小犬を連れて、マンションにまで帰ろうとしたときに、おばさんは家から出て、老婆に話しかけに行きました。

 

二人はともに犬を飼っているという他にお互い主人を亡くしているという共通の事実がありました。

 

それ以来、二人はたまにお互いの家を行き来するようになり、

 

やがて老婆の小犬を、庭付きのおばさんの家で、うるさいと苦情がきそうなときには預かってもらえるようになりました。

 

そうして交流が生まれ、老婆は次第に孤独ではなくなってきたのです。

 

近所の主婦の人たちに忌み嫌われることもなくなり、小犬を散歩させているとかわいいと寄ってくるこどもたちも現れるようになりました。

 

そうして毎日、小犬と暮らし、また親しくつきあってくれたはす向かいのおばさんと過ごしているうちにあっという間に最晩年を迎えたのです。

 

老婆は家で小犬を抱きながらロッキングチェアに座りうつらうつらしているときに、こんなことを思います。

 

「あのとき、もし”怒り”を抱かなかったならば今ほどは幸せな最後は迎えなかったかもしれない。私はこれまでの人生でほとんど誰かに対し怒ったことなんてなかったし、怒られたこともなかった。あの神経質な主婦の一人に怒られたことが、その後の生活の”はり”のきっかけになった。善く生きるために誰かから不快な思いをうけることが必要なときもある。私を孤独から救ってくれた人は”二人”いる。はす向かいに住むおばさんと、あの自分たちのことは棚に上げてこの子をうるさいと無神経に注意してきた人その人だ。私の最晩年は幸せだった。」

 

老婆は数日後に亡くなり、犬ははす向かいのおばさんが引き取ることになった...というようなお話です。