がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

『すべての教育は「洗脳」である』を読んだ。

 

 

本書、よみました。

 

僕が一点だけ相容れない箇所は、「一日の時間をすべて楽しいものにできないか」

 

という発想のことです。

 

これはいくつかあるなかの一つとはいえ大きな障壁かもしれません。

 

好きなことで仕事をする。でも苦痛は伴った方がいいのではないか。

 

きっと堀江貴文は自分で自分をコントロール術を身に着けているのだと思います。出所後とくにそうなのかもしれません。

 

僕はそんな楽しい状況になったら、なにか人生で見落としてしまいそうになるものが増える気がする。

 

そしてそれは、あとになってからじゃ取り返せないような気がする。

 

堀江貴文は間違いなく反論するでしょう。

 

そんなものは、好きなことで稼げる人生の楽しさの方が凌駕するみたいな反論がかえってきそうです。

 

僕が言いたいことはただ一つです。それは世界人類全員がそういう幸せな生活をおくっているのなら、僕も喜んでそうします。またはそうできるように努力します。

 

ただ現状、シビアな状況に陥ってしまっている人が少数でもいる限り、好んでそうありたいとは思わないんですね。

 

で、まあ観点が変わりますが、

 

堀江貴文の本音は正論の部類だと思います。言論の周辺知識が豊富であるし、そのために頭を使う努力は怠っていないのでしょう。

 

ただ堀江貴文には、”そういう言説を担う社会的な役割がある”というところを見逃してはならないと思います。

 

人間、役割分担ですからね。

 

一番、うまくそういった言論がなせる人の一人なのでこういう本を書く。

 

書いてあることはいつものホリエモン節です。

 

ネットで好きなことが稼げる&会社も無駄だし無駄なものが教育含め多すぎる&合理的な選択をしよう。と続きます。

 

まあこれはこれで一つのコンテンツというか、そのまま社会が一気にこの流れに加速するとはあんまり思えないんですね。

 

というのも堀江貴文からちょっと下の僕らの世代でさえ、起業とかコンテンツで稼いでいるような人ってほんとに少数ですよ。

 

そのあたりの統計を意識しないと、いくら正論だとしても、”現実的”には困ったことになると思います。

 

だって正論ふりかざしても、いつかの記事で書いたように満員電車はなくならないでしょう。現金が無駄すぎると言って、クレジットカードがタイの屋台で使えるくらいだからほんとうはどこでも使えるはずだ!と言っても、

 

ふつうにそのへんにクレジットカードが使えない店って今でもそれこそ、一般の会社に勤めている人の割合くらいに多いわけですからね。。

 

堀江貴文はいつでも人間は最終的には合理的な選択をとってきた、と主張します。

だから自分が発言することで社会は変わるはずだ、と。

 

でもおそらくみんながみんな堀江貴文のような生き方になったら、またふつうに会社とかできる気がします。

 

人間ってそういう生き物です。