がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

サラ金の一手はそもそもないものと考える。

明後日、初出勤なんですがその前に病院に行ってきました。担当医は、ブログもいいけれど、ブログが主とならずに仕事に専念できるといいと思います、と言っていました。

 

でも僕はそこであえて強く言わなかったのですが、ブログみたいなものはいいものを書こうとすると、仕事を手抜かりにしては書けないものなんです。つまりSNSで食べ物の写真をぽんとあげるのとは違って文章は理性的に客観的に書く必要があります。

 

なので必然的に生産性のある文章を書きたいんです、みたいな人にとっては当然、仕事をきちんとこなすということと連動しているわけなんですね。そこを老担当医はうまく含めて言わなかった。なにかしらやむをえぬ事情があって仕事ができない場合の理由だって、”理性的かつ客観的”である必要があります。そうなってくると仕事に専念するのはブロガーにとって背反するものではない。まあそう力説はしませんでしたが、少し考えればわかるように思いました。

 

で、タイトルの件。

 

僕は今、現金がなくて実は水曜日くらいまでどこからも借りられない状態なのですが、

仕方なくとりあえず職場までの交通費はクレジットカードで切符を買いました。

 

ほんとうはスイカにクレジットカードでチャージができたらいいのですが、ヴューカードというJR専属のカードじゃないとそういうことはできないというわけのわからないことになっているみたいで、一瞬、焦ったんですね。

 

あ、サラ金でとりあえず一万あれば、次のキャッシング枠があくまでなんとなるし、とか考えたんですが、よく考えたらサラ金の一万円だって、そんなもの、最終手段とかいわれることもあるかもしれないのですが、そもそもサラ金の一手はないものとして考えるというのが正解なような気がします。

 

多重債務者はサラ金でしょう。逆にサラ金じゃなかったら、ぼちぼち返していけるじゃないですか。金利が高いから、みんな返済に苦労しているわけです。

 

とするとその最初の入り口をないものとして考える。つまりサラ金なんてものは存在しないものとして考える。

 

こうすると明快になります。あらゆる物事が。僕はこういう発想こそが見えない利益の一つだと思うんですね。

 

サラ金に借りなければいけない事情も、こう考えると、そもそも何かほかの手はないかと考えるようになります。

僕の場合だったら、とりあえず水曜日にはお金なんとかなりそうなので、仕事はそれ以降にしてもらえませんでしょうか、と会社に懇願します。

 

結局、僕の場合、クレジットカードの利用可能枠を使いまわすことでなんとかなりそうなのですが、そういうわけでサラ金の文字が頭をかすめたら、それは座敷童とか河童とかネッシーみたいなものだと思って、CMも永作博美は老けないなあくらいに思って詳細を追わないのが利口かと思います。

 

かくいう自分は今日結構焦りました。でもよーく考えてみましょう。ブラックジャックから法外な命が助かる引き換えに大金払わなければいけないなんてことは人生に一度あるかないかくらいでしょう。むしろそのたとえでいくとないほうが確率高いわけでしょう。

 

お金の苦労は正しいと思います。ただお金にまつわる害、強盗みたいな犯罪とか他人とのいざこざ、あるいはお金なくて健康害すとかそういうのはすべて愚の骨頂であると誰かが言っていました。どこか違う国だったらもちろん事情は違うのですが。