がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

行動で人を判断した方がいい理由。

僕は口で行われる議論って極論すれば無意味だと思っています。文字が書けない人とかは別ですが、一番みていていやになるのは国会の議論です。あれはしゃべっている人のパフォーマンスなんですね、そういう類の。

 

口言葉を重視する人は、おそらく伝わるスピードを考えていると思うんですが、別にそれが文書でも世界はまわります。便宜上、買い物のときとか困るわけですよね、何も話せなかったら。たとえばそういう目的では口言葉は大事です。

 

でも国会で話すことって、「この消しゴムいくらですか?」みたいな値段が貼られていない文房具店での質問とは違いますよね。

 

もっとさまざまなデータや理論や思想を駆使しておのおのの立場を重視した主張をしているわけです。

 

その発言がどういったものなのかを詳しく吟味するには書き言葉の方が正確です。ただ書き言葉だと伝わるスピードが遅かったりする。また口でも言った方が、より多くの人に伝わる。それはその通りでしょう。でもそうだからといって口言葉ばかりを重視して、相手をその場で論破したり正当性を示すことに快感ばかりを覚えるような人間は馬鹿だと思っています。

 

というのはあくまでも述べたとおり、そんなものはパフォーマンスでしかなく、みている方があの人かっこいいなあとかかっこ悪いなあとかそのように感じるだけで、僕は人間はそんなに単純ではないという見方をします。政治に関していえば、マニフェストがきちんと実行されるかどうかだけを、国民は監視していればいいわけです。

 

このことに気づいたのは僕の入院時の担当医の今でも僕の芯に突き刺さっているある言葉です。

 

それはとてもシンプルなものでした。

 

「私(医者)は治療方針を患者の発言ではなく、患者の”行動”で決めます。」

 

僕は入院時、病院に迷惑をかけているこんな言葉があるかどうかはわからないですが、”不良患者”だったんですね。僕はそのとき26歳で入院時にある既婚者の女性の躁鬱病の人と食事の席とかで仲良く頻繁に話しているところを、他の患者から、みていて不快、というクレームがあったのです。僕が担当医に、「治療のために来ているわけですから、きちんと食事をとり、適切に行動しましょう」とそう言われたことに対し、「はいそうします」とだけ適当に答えて、実際はそうしていなかったわけです。

 

で、入院時3週間目くらいに、担当医に病棟を移りましょうと言われて、違う病棟に移されてしまったのです。

 

僕は反省し、その担当医に言われた言葉は八年後の今でもずっと、物事をみるときの判断基準になっています。

 

人間、どれだけでも嘘がつけます。どれだけでも適当な言葉がいえます。どんな偉大な人物でも、それは同じです。たとえば映画という芸術の中には、ふんだんにそのような”パフォーマンス”を重視する人物が出てきたりします。そしてそれはそれでその言語の創造性に価値があるようになっている。

 

そもそも人間が嘘がつけない動物だったら、この世の中は今とはまったく違った輪郭で形どられている世界でしょう。人間が嘘がつける世界だから、みようによっては楽しいしみようによっては悲しいのです。

 

だけど行動ははっきりと行動です。記憶があやふやだったり、水掛け論みたいな言葉があるように口言葉はどこまでもそれらに勝てません。

 

人間社会は一見、口が強い人間が出世して行くようにみえるかもしれませんが、有言実行を高いレベルでこなしている人以外、それらには価値がなく、むしろ僕が興味をひかれるのは、口では悪党的な非人道的な暴力的な言葉ばかり発していてもとっている行動がヒューマニズムに彩られている人間です。

 

この手の人間は現実社会にはそうそういません。だから映画などで作り手側のモチーフにされたりします。