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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

芸術家の心理について。

社会を動かしているそのものの原動力のなかで人間の持つプライドは大きなウェイトを占めていると思うんです。

 

プライド。たとえば結婚。心理学者のアドラーの教えによると、とかく二人で生きていくのにプライドは邪魔をします。

 

年収いくら以上、顔の見栄え、出自や育ち、これらを重視するのがお見合いですが、アドラーに言わせると人として大切な素質をもっていれば、”どんなパートナーでも愛せるようになる”のだそうです。

 

昔は恋愛結婚なんてなかったわけですから、昨今、恋愛結婚が主流で離婚率が増加の一途というのは、要はわがままなプライドを持った人が増えているわけです。

 

これは何の要因に直結するかというと個人の幸せです。こういうふうに生きられるのが自分自身の幸せだと定義している人間が多いんですが、僕は体験談として、そういった一度定義した自分自身の幸せの在り方は変化することがあると知っています。

 

北野武がそういうことをよく言うんですが、”大枚はたいて飲む高級ワイン”よりも、”汗水たらしたあとに飲む一杯の水”の方がうまいと。

 

僕は昨年、介護の資格をとりに週に二回、一日7時間拘束される学校に通っていました。

 

まあふつうの人ならどうってことない通学ですよね。でも僕にはハードだったのです。実習など慣れないことが多く、また教室の人ともコミュニケーションをとらなければならないし、六時間の講義、休憩はありますが、勉強に集中しなければならない。

 

体力がある受験生とかならともかく三十路を過ぎたメンタル不調のおじさんには辛いわけです。

 

で、あるときくたくたになって実習を終えて電車で家路についてました。これから家帰ってシャワーあびて犬の散歩して、と段取りを考えるだけでいやになるくらいの疲労でした。

 

ぼんやり電車に揺られていると席が一個空いたのでそこに座ったのですが、ちょうど夕陽が陰る時間帯でなんだか車窓から見える景色が、心に染み入る綺麗さだったんですね。

 

でも当たり前ですが、まわりを見渡すとみんなそんな景色よりも自分の空間を優先して没頭しています。スマホをいじったり、おしゃべりしてたり、あるいはぐたっとうつむいてたり。

 

もう一年くらい前のほんの些細な日常のひとこまでしたが今でもあのときに感じた幸福感は印象付けられています。

 

僕はそのときの車内にいた人たちのふるまいにたいして、こんないい景色なのになあなどと思うのではなくて、僕もふだんただ電車に乗っている場合はたとえ窓から写真家が唸るような陽に照らされた富士山がみえたとしても(路線上、みえないですが)、多分、面白そうなニュースがあったら携帯をいじるだろうし、なにかもっとやましい考えでいっぱいだったら、煩悩にとらわれて景色に感動などしないでしょう。

 

でもちょうどあのときにみたなんでもない夕陽は、別にお金で買ったものでもないし、身構えてみようみようと思っていたものでもありません。

 

何が僕を景色をみて感動するだけのものとさせたかというと、その前に、ひたむきさで挑んだ時間があったからです。僕は六か月間の資格の学校に通っている最中は、仕事に行くような感じでそれなりの覚悟をもって毎朝、家を出ていました。

 

そういったように、人はいつなんどきどこで幸せを感じるかはわからないものです。

 

自分の幸せはこうだ、と決めつけて毎日を過ごしているとそういった体験も得難いのかもしれないと思うことがあります。

 

つまり機会はあっても、それに心を動かされるだけのものを自分が持っていなかったらそれまでだということです。

 

科学に代表される学問の世界ではセレンディピティという言葉があります。偶然を発見する能力みたいなふうに和訳できますが、要は、自分の研究につながる観察の対象は偶然から生まれることが少なくなくまたその偶然から学ぶことができる素質も大事であると説かれています。

 

そういった何か崇高な学問につながるようなセレンディピティだけが存在するのではありません。

 

個人レベルの話においても、僕があのときにみた夕陽にある感動を発見したように些細なとこにもあったりするわけです。

 

プライドの話に戻りますが、プライドが大衆の価値感に沿うものであればあるほど、そういったセレンディピティとは遠ざかった行くように思います。

 

大衆は実にわかりやすい出来事にしか反応しません。高い地位にある人がスキャンダルで逮捕されたりするとそういった記事は流行ります。ビジネスが成功したという記事をSNSで流すともてはやされます。ブログ運営のアフィリエイト関連で検索のトップぺージに来るのはこんなに稼いだ!という魅力的な数値がのっている実用性の高い記事のハウツーばかりです。

 

芸術が存在するのはまさに大衆がそうであるからで、北野武のような発言は比較の中で受けるわけですが、ただああそんなこと言ってたなあではなく自分で体感した経験があると、大衆への見方も変わってきます。

 

「こいつらがみんな馬鹿だから、おれの存在価値が高まる。」

 

これはきっと多くの芸術家の本音なのでしょう。