がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

満員電車がなくならない理由。

いっとき馬鹿みたいに企業はこぞって成果主義成果主義と唱えていましたが、あのブームはどうなったんでしょうね、ホワイトカラーエグゼンプションなんてのもありましたよね、あれもどうなったんでしょうね。

 

成果主義って文字通り、成果を達成すればいいということなので、裁量労働になるわけです。そこまでは納得できるんですが、裁量労働であるなら会社という物理的な建物、あれはいらないんじゃないか。

 

この、なぜ?には的確にこたえられる人は少ないのではと僕は思っています。なぜ?というのは、みんなおうちってあるじゃないですか。会社に住んでいる人っていませんよねふつう。

 

それでおうちでネット環境がありますよね、パソコンも大体のビジネスパーソンは持っている。その環境がデフォルトであるのにどうしてその資源をそのまま使わずに会社という箱の中でそれらを用意する必要があるのかは、疑問じゃないですか?

 

朝日新聞に「へえな会社」みたいなコーナーで、各々好きな場所で会議も全部スカイプでやって週に一回かそれくらいだけ会って集まる方針をとっている会社が紹介されていましたがなぜこれが「へえな会社」と珍しがられるのか不思議ですよね。

 

可能か可能じゃないかと考えるとどの会社も全部そうできるはずです。なにかの本にのっていましたが、今ってまだネットで申し込み、電話で申し込み、店頭申し込みみたいにいろんなやり方がなにかの申し込み一つとってもある状態です。このうちコストがもっともかからないのはどう考えてもネットで申し込みだから、残りの方法をとる人にはその分の申し込み手数料をとればいいと発案している人がいました。

 

これはなるほどです。

 

そういうシステムをとると必然的にみんな、ネットでできることはネットでやる志向になっていかにも合理的ですね。

 

きっと中高年以上の人も情報端末の操作くらい学ぶようになる人も増えるんじゃないでしょうか。身体は多少弱っていても頭はクリアで生きがいだけがない高齢者もこぞってパソコンを習いに行ったりしそうですし、高齢者は今の貧困な若年層よりかはお金を持っているので、学習意欲のない場合は、手数料払って電話なりなんなりネット以外の方法でやればいいでしょう。

 

でも現実にはそういう方針を打ち出すリーダーは少ない。発案者はたくさんいても社会の方は動かない。

 

僕はこの現象、一種の依存症だと思うんですね。

 

昔はこんな風に考えていました。みんな会社に満員電車で物理的に通うのはしんどいと思っている。でもそういうしんどい辛いことを乗り越えて家に帰って家族の顔をみるとホッと幸せになる。優れた戦争映画には残酷な非人道的なありえない負の描写がたくさんあるなかでふっと一瞬、青空だったり人の笑顔だったり満開に咲き誇る花などを映したりして正を表現する。その負と正の揺れ幅が大きいほど人は多く感動する。つまり映画に限らずそういうところに感動の指針を覚えた人は結構たくさんいる。そこにいまだに満員電車に辛いと思いながら乗る人の無意識の深層心理が働いている。会社という実体の辛いものがなくなるとそれはそれで世界がつまらなくなる。

 

でもこないだ、快楽物質について書かれたある学者の本を読んだんですが、数々の薬物に代表される依存症がある中で、依存症の中でも、「行動依存」というのもあるみたいなんです。

 

ある動作を生活の中でとることが定着してしまう依存症なんですね。

 

僕が朝、犬の散歩をするついでに自動販売機まで毎日同じルートで歩いて行って、硬貨を入れてボタン押してタスポでピッてやるまでの一連の流れが染み付いているのも、行動依存だと思っています。

 

ここではもちろん煙草なのでニコチンに対する依存が行動依存を引き起こしていることは考えられますが、とにかくそういう動作や行動についても脳内の快楽物質が働き、同じことを繰り返している科学に観察可能な現象をみられるみたいなのです。

 

満員電車に乗る習慣がついている人もそれと同じ原理じゃないかと。

 

でも煙草と違って、満員電車に乗る場合は身体へのニコチンによる害はありません。でも満員電車って特に歳をとればとるほど身体にはけっして良さそうではないですよね。

同じ体勢を苦しくてもとらなくてはいけない。それにあと電車内トラブルの可能性は高まります。痴漢とかね。

 

でもみんな、勉強みたいにいい依存症だと思っているからそれをやめたいという発想にならない。

 

おそらく真面目な人ほどそういう環境に慣れてしまう。

 

人間はどんな環境にも慣れることができるといわれているとおりですね。

 

それは見方を変えると一種の依存症なわけです。

 

すでに依存している人はいいですが、そうではない人からすると社会はおかしい!というふうになるわけです。

 

僕からすると残念ながらになるんですが、日本に強烈に染み付いた、イエスマンという言葉に代表されるように、出る杭は打たれるという言葉に代表されるように、強いものに従順である精神がまだ数多くの人を覆っていて、そっちの価値感がまだ多勢なんですね。

 

とりあえず僕は今度、煙草を毎朝自販機に買いに行くんじゃなくてカートン買いにしてみようかと思います。少なくともこれまでの行動依存の”目的”はなくなります。