がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

統合失調症、好きなことで成功しない確率と就労不可診断の確率。

一番悲しいのは僕が昨年、辿ってきた経緯だと思います。一度企業に採用されたのに数ヶ月後に医師から就労不可の診断がおりてしまう。

 

僕はとある介護施設のミーティングルームで施設長の人を前に、机に並べられた退職に関する書類と持参してきてほしいと言われたハンコをなんとも様にならない体で眺めていました。

 

ミーティングルームのそとでは僕がわずかな時間であっても接して会話を交わすようになった利用者さんが行き来しています。

 

スタッフもせわしなく動いています。僕に親切に指導を行ってくれたベテランのスタッフの姿もあります。

 

意地の悪いスタッフも確かにいました。それでも僕が経験してきた施設の中では、やはり業界の大手だけあって働きやすいなあという実感があった。

 

「やっぱりお医者さんの診断は厳しかったですか?」

 

施設長の声が部屋に通る。僕は何度も月一くらいの面談のとき、もう大丈夫なんですふつうに働けるんです、と主張をしてきた。

 

僕は施設長の言葉に「そういう結果になったみたいです」と弱弱しく言って、退職書類にハンコを押しました。

 

勤めた期間、五カ月。有資格者としてはじめて臨んだ職場でしたが、企業に求められたとおり就労不可の診断書を提出して退職。

 

僕はなにか他の道で生きていくしかないのかなあという雑念とともに今にいたっている。

 

先日、親に「今、就労可がまた出たのだったらどんどん企業に応募したら?あるいはバイトでもしたら?どんどん社会性がなくなっていくよ」

 

そう言われました。僕は自分の経験になってチャレンジできる仕事で”職場の人に迷惑をかけない”自信があるときにはそういう行動を起こしたい。

 

実際、先月はアパレル会社の面接に行った。結果は不採用だったけれどどこかでほっとした自分がいたのも確かだった。

 

「これでまた就労不可がおりて途中で仕事を退職し企業側も自分にも不利益になる事態は避けられた」

 

落としてくれた面接官に感謝の気持ちが芽生えたくらいでした。

 

今でもチャレンジできる仕事、これは意識しているが、その大前提として会社に迷惑をかけないし自分も傷つかないという条件つきでそう考えている。

 

そういったことを親に話しました。一理あるなというくらいの顔をしてそれ以上は何も言わなかった。

 

僕はブログに自分がこれから体験する出来事で、社会に共通する、あるいは共感してもらえたり、疑問を投じたりできる記事を書き残したいという気持ちがある。

 

それが将来の金銭的な財産として実るかどうかの保証はないけれど、そうやって有意義な時間を過ごして時間が潰れるならば、会社と自分の双方に不利益になってしまう結果になることをするよりはるかに価値がある。

 

そういうことを考えていると、そもそも統合失調症患者が就労中に就労不可の診断を出されてしまう確率となにか好きなことをやってそれが成功しない確率はいっしょくらいなのではと思えるようになった。

 

実際にそうだろう。結局、どっちも誰にも予測ができず、また予測する材料など何もない。

 

だが違うのは、その二つの確率が起こったあとの結果だ。

 

前者はいわば共倒れ。だが後者は自分が潰れるだけなのだ。

 

それぐらいだったら、後者を選ぶのが賢明に思える。

 

そして自分が好きなことを仕事にしようと唱える本が今、無数にある。そういった本がたくさんある背景にあるのはどう考えても日本の閉そく感だ。

 

僕の親は「みんな忍耐に忍耐を重ねて生きてるんだよ」

 

そう言っていた。僕がもしなんら健康的に問題ないのであれば、その通りに生きていただろう。多少の忍耐くらい、プライベートでリア充生活を送り、どうってことなく生きていただろう。

 

だが僕は一生薬の服用が必要な身分だ。

 

無理がきかない。そこは自分が判断しなければいけない非常にデリケートな線引きだ。

 

僕は医師から就労不可がおりたとき、これは嘘偽りなくまったくその通りなのだが、診断書の提出を会社から求められそれを受け取ったときに病院のそとでその診断書をみて一度、病院に引き返した。そして事務の人に確認した。これはなにかの間違いじゃないでしょうか、と。

 

つまり自分で調子悪いなと思ってくだされた診断ではなかったところに、病気の怖さをみたのである。

 

客観的に医師がみて、働ける状態ではなかった。僕自身は働けるとふつうの月に一回の診察と同じように何も変わらず診察をうけていた。

 

先月、就労可の診断がまたおりたときに医師から言われた言葉はこうである。

僕はハロワ指定の診断書を医師に提出した。

 

「あ~でもこの診断は、”就労していない今現時点では”大丈夫っていうものなんですよね~」

 

その言葉が意味するのは、また就労したときにどうなるかわからない、という示唆だろう。

 

僕は親に言われた言葉に対して、すすんで日本の閉そく感に加わる必要はないのではないか、ときっぱり言った。僕は統合失調症でも高いレベルの自己実現ができることを証明したい。いまだ精神障がい者雇用が内実の事実として進んでいない実態の一因に、やはり偏見があるという朝日新聞の記事をついこないだみた。

 

そういう歯がゆい思いをしている患者さんたち、あるいは偏見の目でどうせ能力もなにもかも劣っている連中だろうと考えている健常者たちに新しい価値をみせつけたいという野心がある。