がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

20代のころの上司の価値感など、井の中の蛙みたいなもの。

多感な人であればあるほど、10年ぐらいの感覚で自分史みたいなものを振り返ってみると抱いていた夢とか人生観とかそういったものがことごとく変化しているのに気づくでしょう。

 

特に多感な人は読書階層が多いので本から得られる価値感は絶大だと思います。

 

僕が20代で仕事をしていたときは「お金がもらえて同僚先輩もできて自由に食べるものも決められていつでも煙草が吸えて好きな人とお酒も飲めてああなんと楽しい人生だろうか」みたいな感じでイージーモードの展望だったのを思い出します。

 

新卒で会社に入ったころは25歳の先輩がいるだけで、「わ、おとなの人だ」なんて思っていました。

 

それが今、33にもなってみると20代の人はたとえ20歳と29歳だとしても20代とひっくるめてしまえるほど20代は20代というふうに感じられます。いくら何かに長けていてもそれをすべてマイナスにしあげてしまえるほどの視野の狭さがある。なんでかなと思うんですが、僕自身のことを振り返ると当時の先輩や上司って言っても一番上でアラフォーくらいで35歳くらいの人が僕の上司だったのですが、それでも35ですよ。

 

35歳の人の価値感で仕事のハウツーを教えてもらったり、また意見を交わしたりするわけですから、そしてそのときはさすがに35歳の人は家庭をもっていたりお金も多少あったり社会経験も10年以上ある人がほとんどですから、なんと頼もしい人だろうとか思っても仕方ない。実際にそのときは頼もしいわけです。そこに世界のすべてがあるように感じられる。僕はそうでした。

 

しかしあるとき僕は25歳くらいのときでしたが、ISIS編集学校という編集工学の道で有名な松岡正剛さんが校長の学校にネットですべてやりとりがおこなわれる学校でしたが、入学しました。そのときからまあまあ本を読むようになったんですね。

 

それで病気になったりして月日が流れてこの歳で思うのは本から得られたものの方が人生に役だったことが多いなあという素直な感想です。

 

一般の20代は色恋沙汰目線で男も女も社会をみていることが多いですが、30代半ばはその比率がぐっと減ります。すると何目線で考えるかというと、こないだたまたまSNSでそういう投稿が流れてきたのですが、大体同年代だと

 

「こどもや社会のために物事を考えるようになったり、そのような動機で仕事をする」

 

これはその通りだなとしみじみ思いました。

 

どうすれば社会にとってよくなるか、役に立てるか、こどものための未来へ財産を残せるかという発想で生きるようになるんですね。

 

別に20代の人がそう考えている人がいないと言っているわけではないのですが、どうしても生活の比重がパートナー選びのスタイルになってしまう。

 

これはでもそういうものなので仕方がないのです。男も女も体力と性欲がありますから自然と社会的なふるまいも異性を意識したものになる。

 

そこを卒業すると、社会の役に立とうと思ったら、20代ではできないものをと考えるようになるのもまた自然なことです。

 

いくらそれまで異性によく思われたいといわば見栄をはったり恰好をつけてきた人でも結婚し、こどもも生まれ、仕事をやめるわけにはいかず、責任感が出てくると、それまで尖った性格の人も丸くなります。

 

こどもが幸せに育つためにはどう社会が動けばよいか、そういった言論の場に参加するようになったり、また直接的には何の行動を起こさなくても新聞くらいは読むようになります。世の中の動きに敏感になるんですね。

 

僕は平凡以下の大学生だったので、勉強はとにかく単位がとれればいいという発想でほとんど勉強なんてしませんでした。本を読むのは単位に必要なものだけ。ニュースも意識せず、ただ身近な交流関係や発展性のない会話や体力があるときにしかできない貧乏旅行のようなことを繰り返していただけでした。

 

僕は教授からよく思われている人ではなかったので最近のゆとり世代は、みたいな風潮をびしびし感じていたのですが、それも10年経ってみると、あのときの教授が言っていた発言は(僕は勉強はしていなかったけれど先生方の発言とか振る舞いはよく覚えているのです)、よく考えるとそんなに見方が深いものではないなとか、あああの先生も生活が当時大変だったんだろうなとか、いろいろ見えてくるものがあります。

 

いっても大学教授のような研究者目指す人は民間の会社でもまれた経験のある人は少ないわけですから、世情のようなものをどこまで様々な人の立場になって考えられるかの点においては、専門分野では知識が深くてもその他のところでは自信がない人も今になって振り返るといたんだな、と考えたり。

 

なぜそういうふうに捉えられるようになったかというと多読や乱読を経験してきたからだと思います。

 

そうなのです、あとで振り返ると20代のころの上司の価値感など、井の中の蛙みたいなものです。よく、過去を振り返るなというような言葉がありますが、

 

自分の成長を感じられる振り返りのために、人は生きているようなものなのです。