がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

いじめと自殺と親の責任。

どういうスタンスで人間を捉えるかというところからですが、僕は

”人間は基本的にみんな馬鹿で低俗で卑劣で大人げなくて残酷”

 

とはなから定義している人間は唯一馬鹿ではないと思っているんですが(語義矛盾ですが)

 

そういうふうに捉えた方がいい理由は、まず朝起きて新聞を読めばいいだけです。

 

そこには残酷極まりないニュースがばんばん掲載されているからです。

 

いじめで死ぬ子が多いのはおそらくいじめられても逆境をなんとかその後跳ね返し、なんらかの方法で社会的成功を得た人が実際にいくらでもいるからそんなに抜本的な対策がとられていないのだと推測します。

 

たとえば今でこそ教師からの暴力は当たり前のように犯罪ですが、僕が中学生だったころはふつうに教師が生徒を殴っていました。それをみて僕たちは育ってきたので必然と強いものと弱いものという概念が形成されていたことは看過できません。なぜそのようなことがまかり通っていたかというとその後、卒業した生徒の中で、「あのときの先生の平手打ちがなかったら、今の僕はありません」

 

みたいな感じでおおっぴらに感謝の言葉をする人がたくさんいるからです。

 

軍国主義からずっと日本はそういう感性がありました。戦争に行かない、病欠のために行けない人はどんな立派な文人であろうと後ろめたさを感じるようなところがありました。

 

ところがいまはまったく時代が違う。体罰は処罰されるし、暴力という人間の持つ物理的な闘争本能みたいなのは全部、スポーツに還元されています。

 

スポーツ選手が崇められるのは、平和主義が進行している象徴そのものです。

 

なぜそうやって時代が変わっているのにいまだにいじめをうけて自殺とかで死ぬ子がたくさんいるのかは、もちろん回答がいくつもあるでしょう。

 

テレビの影響かもしれません。低俗なバラエティ番組などでは”いじる”という言葉に表されるように一見過激なことをされて喜ぶ芸人やまたそういった言葉を発して笑いをとるタレントがいます。

 

またそもそも育った環境が、と唱える人もいるでしょう。富の再生産みたいな感じで、上述したように暴力やいじめがあるなかで義務教育をおえた親の家庭に育った子は親の価値感として軍国主義から一貫して続くもののままの場合、多くの影響を受けて、他の子をいじめたりするようになります。

 

ちょっと視点を変えるとそもそも担任の教師が忙しすぎていじめの実態を知っておきながらそこまで手がまわらないという実情もあるかもしれません。今、小中の教師が激務だというのは周知の事実です。

 

そういった例をあげたように無数に因子があるなかでいじめをどうするかが争点ですが、僕はいじめが問題なのではなく、”自殺が問題”と捉えています。

 

いじめは僕が冒頭にあげたように、人間は基本的にえげつない生き物なのだから根本的にいじめ自体をなくすのは難しいと思っています。また先生のあのときの平手打ちのおかげで、みたいなことを将来になってから言う熱血タイプの人間がいるように、あるいは殴られたりはしていないけれど陰湿な言葉だったりの非暴力的ないじめをうけてきたけど、勉強ができれば一目置かれるからと勉強して受験にらくらくうかるくらいの学力を身につけて学問が好きになったという生徒も中にはいるでしょう。逆境が全部悪いものとは考えにくいのです。

 

ある文化人は、学校も家もなにもかもいやになったこどもは家出をすればいいとか言ったりしていますが、要するに世界は君が考えている数億倍くらい広いんだよとわからせる必要性を唱えているのです。

 

しかし僕ははたしてそういうアナウンスがあったからといって自殺をするようなこどもは自分の考えをなんとか修正できるかというと難しいような気がします。

 

大人が、そうやって違う可能性の進路だったり、希望だったりを説くのは意外とかんたんですがこどもにとってはあの小さい学校や教室の場が人生のすべてなわけですから、

”自分自身でまさにそのように自分の頭で考える”ようになるのは一部の子だけかもしれません。

 

なので結局のところ、最後は誰がこどもを守るかということになると僕は親だと思っています。

 

社会は残酷なのです。ほかの何を知らなくても、社会は残酷なんだとだけ知っているこどもは賢いとさえ言い切ってしまえるほど社会が残酷である言論はもっと普及させるべきで、

 

親は少なくとも大人なわけですからそれを知らなければなりません。

 

自分はいじめなんかに屈せずに生きてこれたから、あるいは無縁だったからとこどもの心理や状態にたいして楽観的にいるのはまったく無責任な話です。

 

芥川龍之介は『河童』という小説を書きました。その小説の中では、生まれてくる前のこどもにこの世に生まれたいか生まれたくないかを選択させるという概念が出てきます。

 

これが意味するところは、楽園に生まれるわけではないんだよという芥川の諷刺であり、そういった概念がいまでもずっと価値をもっている事実をどの大人も、こどもを生むからには知らなければならないと思います。

 

振り込め詐欺みたいなもので、自分だけは大丈夫、自分のこどもだけは大丈夫という隙が悲劇になりかねないので、よくコミュニケーションをとって、些細なこどもの変化に敏感になるくらいにケアを怠らないのが親の務めでしょう。