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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

Facebookがオワコンにならない理由。

Facebook、営業利益、好調みたいですね。僕はmixi時代からSNSは使っていたので、かれこれ10年くらいSNSを利用していることになります。

 

twitterもいっときやっていましたがある時点を境にすぱっとやめました。有名ブロガーさんとかはtwitterをうまく使っておられる人が多く、twitterFacebookの相性は悪くてもブログとtwitterの相性は使い方によっては抜群に良いものになるという認識はあります。

 

それでなぜ僕がtwitterを切ったかというと理由は以下の四つです。

 

SNS及びスマホ依存になる。

②スパムアカウント多すぎ。

③全体的に画面がFacebookに比べごちゃごちゃしている。

④フォロワーの推移(外されたとかフォローされたとか)の一喜一憂が無駄。

 

twitterは次から次へと新しい情報が流れてきます。僕は300人くらいフォロワーがいてその人たちへの義理フォロー(相互フォロー)もしていたので別に知りたくもない情報がわんさか流れていました。

 

無意識にスマホをいじる時間が多くなって、いっときついに僕は朝から晩までスマホしかいじらない日々が続いてしまったことがありました^^;

 

それを危惧したのとあとあの文字数制限ですね。ある程度、誤解のないような発言をするためにはそれなりに書きつめたいものがある。というか有名人がずばっとなんか発言するみたいな効力は、ふつうの人にはあの文字数制限の中では同じように働かないし、よくNHKの番組の感想をこちらまで、みたいな感じでtwitterでつぶやくぶんには有効なのでしょうが、まあそういったこととか上にあげた四つを考えたりして僕はtwitterをやめたわけです。

 

それで残ったSNSがLINEとFacebookだったんですね。ちなみにmixiFacebookに登録した時点でそれまでに使っていたアカウントを削除しました。

 

mixiは今はFacebookに移行せずにmixiだけにしかいない友達と連絡をたまにとるためだけに僕はアカウントを一つつくっていますが、それ以外には何もしていません。

 

それで本題です。なにかとネット界隈ではFacebookは落ち目だとかFacebookの広告うざいとか足跡が怖いとかサイバーストーキングがとかさまざま言われていますが、新聞に踊る文字は、「営業利益過去最大」みたいな感じです。

 

つまりユーザー数も増えているし、広告を出すクライアントも増えているというわけですね。

 

一応僕のFacebookの状態を表示すると

 

①友達の数100人未満。

②小中、高校、大学、資格の学校で実際に会って同じ時間を共有した人が100%。

③同年代がほぼ全員。

④男女比率は半々くらい。

 

というような感じです。で、それで何が言いたいかというとこれは僕のあくまで僕個人の状態であり、なかにはそれこそ友達の数が何千人といるような人だったり、まったく何も投稿しないけどたまにチェックしている人だったり、起業家だったり、シングルマザーだったりと30半ばも近づくと

 

「いろんな人がいろんな思いでいろんなFacebookの使い方をしている」

 

というのが想像できると言いたいのです。

 

そしてその使い方の前提には、

”それなりに節度をもって投稿およびコメントをしている”。

 

twitterのスパムは正直ひどいです。相互フォローお願いしますとだけうたっているアカウントとか投資話ばかり投稿しているアカウントとかが無数にあります。

 

その点、Facebookは基本的に実名なので迂闊なことは投稿できないわけです。

 

そこで考察なのですが、このFacebookの使い方が千差万別だというのが想像できると書きました。

 

で、僕はそれこそがまさにFacebookが好調な理由だと思うのです。

 

節度ある中で自由な使い方ができる。オーソドックスなのは同窓会ですが、それ以外にも。

 

写真をとるのが上手な子はアートっぽい風景や行った観光地の写真をアップする。あ、こういうところに写真アップするときにこだわりあるな、みたいなのを発見したりする楽しみがある。

 

起業家は起業家精神に通じる文献や言葉や情報をいいね!して、それが流れてくると、今はこういうサービスがトレンドなのかと、雑誌の一ページをめくるのと同じような情報をえられる。

 

音楽をつくっている子はその動画をアップして、ライブの雰囲気とかを知ることができる。30代でライブハウスで歌っている子の様子はこんな感じなのかと元気をもらうだけではなく、実際にライブハウスに行かなくてもミュージシャンのライフスタイルをうかがい知ることができる。

 

ちょっと意地わるいですが、社会的地位の高い友人の、知り合いが投稿した内容にその友人がいいねしたちょっと格調高そうな投稿を読んでああこれは一元論的な見方をしているだけでたいして面白くないな自分の投稿の方が面白味あるなとカタルシスをえたりすることもある。

 

これらがほんの一例なのです。そのときの自分の気分やいる場所や時間帯によって感じ方も違うし、考えることも違うし、つまり変化するんですが、それは同級生のいっしょだった当時からの状態の変化をみるのと同じように一つの考えが深まる要素になる。あるいは何も変わっていないかもしれない。その発見も面白味です。

 

また、もしかしたら何も投稿しない友人は、ある特定の人の公開投稿を読むためだけにFacebookにいるのかもしれないし、あるいはメッセンジャー機能だけ使うとかも有意義な使用法だし、ただの名刺代わりというのもありえるでしょう。そういう、人によっての使い方で、その人なりのポリシーみたいなのを想像したりすることもできます。

 

Facebookがはじめ学生登録簿だったというのは有名な話ですが、人間のもつ根源的な心理をうまく社会性のあるものに応用した発展をとげていますね。

 

なぜmixiはこうならなかったのかというのは実名とそうでないところのとこに論がありそうですが、ここでは深くは追求していません。